これといった被災地支援を出来なかったのに堂々としている人の話

ごきげんよう

東日本大震災から5年が経ちました。
5年前の今日あの時間僕は新卒採用の面接をしていました。
面接をした女子学生を連れて日枝神社に避難したことを覚えています。

この5年の中で自分が何か被災地に対して支援が出来たかというと直後のささやかな寄付や支援物資を送るなどの月並みなことと、多少のプロボノをさせてもらった程度で大きく言えるようなことは何一つできていません。
正直なところ自分たちのことで手一杯だったというのが実情です。
会社は丁度創業事業の成長が鈍化して事業転換を迫られていた厳しい時期でしたし、プライベートでは息子が生まれたばかり、初めての子育てで夫婦共に余裕もない。そんな時でした。

先月のことなのですが、部下として僕の下でがんばってくれていた女性社員が退社することになりました。
出社最終日に僕はイベントでの登壇があり送り出すことが出来なかったのですが、夜会社に戻りデスクの上にチョコレートの箱がありました。
そこに小さな手紙が挟んでありました。
彼女が置いていったものでした。
手紙の中身は書きませんが、これまでの丁寧な礼と「親代わりと言ったのだから結婚式のご祝儀を期待しているゾ」という内容でした。
彼女はうちでの仕事を続けたい意志はもってくれていたのですが、フィアンセの海外勤務を機に結婚し夫と一緒に新天地で新しい活躍の場を探してみることにする事に決めたとのことでした。
もちろん僕にとっては大きな痛手ですが、本人の腹が決まれば気持ちよく送り出すことにしたという次第です。

彼女は5年前の震災のあの時期に内定を出した社員で、しかも大きく被災した地域の出身でした。
(内定を出した時は地震前、被災したから内定を出したわけではありません。)

僕の部下であることはかなりしんどいことだと思うのですが、彼女はとても頑張り屋で挫けることなくついてきてくれました。
一度本当に仕事が大変な時に「がんばります。。。どうせ私、帰る場所(実家)ももうありませんから。」とポツリと言ったことを鮮明に覚えています。

彼女を預かり、ビジネスパーソンとして独り立ちが出来るように僕の知ってることは惜しみなく教えたつもりですし、一緒にいろいろと勉強をさせてもらいました。

別に震災があったからそうした訳でもないですし、他の社員でも同じくそうしているつもりですが、結果的に厳しい状況からのスタートとなった彼女が次のステップに進む為のプラットフォームとして自分の会社や自分が多少なりとも機能したのであれば、一人、たった一人に対するちっぽけでご都合主義的な話ですがこれも自分ができた震災復興支援と勝手に自分の中でカウントさせてもらっています。

今ふとあの時の自分はどう考えていたのだろうと、震災直後の社内SNSのログを見たらエントリが残っていました。

転記します。

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ひとりひとりができること

2011年03月14日14:30

想像を絶するとはこのことだ。
取引先や一緒に仕事をした先にも亡くなった方、行方不明の方が出ている。
亡くなった方には心からご冥福を祈り、行方不明の方はなんとか無事に救出されてほしいと心から願う。

ネットでは有象無象の情報が交錯して、また、居ても立っても居られない人の善意を利用した悪質なチェーンメールや、逆に各所に迷惑がかかってしまう義援行為の推奨が行われいる。
(例えば、消費財メーカーなどに物資を無償提供するよう要請する個人のメールで、サーバーがパンクしそう、、など)

悲しいし、自分で何かできないかと考えること自体は非常に尊いことだと思う。
こういう時に一人一人はとても非力だし、自分がいつも通りちっぽけに幸せに暮らすことがなんだか居心地悪かったり、沈んだ気持ちになるのも確かだ。
でも、私は、こういう時こそ、いつも通り経済を回したり、消費をしたり、仕事をきちんとやることが重要だと思う。
一人ひとりの予定通り買ったものや、使ったお金、がんばった仕事を通して、また企業や誰かの仕事を安定させ、その企業や働いている誰かの家族や身内や友人を通して被災地の人たちには必ず支援につながっていく。
体のどこかを大けがして、悲しい気分になって食事もせず運動もしなければけがも治らない。
その場の傷口をどうにかすることはお医者さん(プロ)の仕事でもあり、我々も何かのプロとして日本の経済や仕組を命がけでまわすべきだろう。
それが、ニッポンという体を回復させる基本だと思う。

私が言いたいのは特別なことをしなくても、日頃から与えられている個々人の役割をこんなに悲しい状況の中でもちゃんと果たすことが必要だということだ。

危険な放射能と隣り合わせで原発の対応にあたってくれる人、被災地に入って救助に当たってくれるレスキューの方、避難者を励ます医療従事者の方には本当に感謝すべきだし、それ以上に彼らのプロフェッショナルとしての姿勢について私たちはもっと良く考えるべきだと思う。

悲しい気持ち、何か手助けしたい気持ちはぐっと心に留めた上で、まずは自分の持ち場を全うし、その上で生まれた、金銭的、時間的、人力的余剰があれば、それは、実のある形の消費なり、直接的な義援金なりにするというので十分な貢献になるはずだと思う。

何をしてよいかわからなければ、まずは自分の持ち場を全うしてください。

危険な状況でがんばるプロの邪魔をするのだけはやめよう。
私たちがもし何かのプロなのであればまず目の前の仕事をがんばろう。
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持ち場で頑張りましょうとあの時も言っていたようです。
そして残念ながら5年経っても殆ど進化がありません。

さぁ今日も持ち場でがんばろうと思います。