常に怒っているという才能

さてごきげんよう

結構昔のことなんだけど、コンサルタントをしている奥さんと話をしているときに「仕事をしていて、一番腹が立つのはどんな人か?」みたいな話題になり、彼女は「怒ったら、パフォーマンスが上がる人」と言っていてすごく印象に残っている。
最初「舐めやがって」という感情の話かと思っていたのだけど、どうやら、よくよく聞いてみると、純粋に「プロフェッショナルとしてあり得ない(情けない)」と腹を立てている様だった。

僕としてはすごく新鮮だった。そんな世界あるの?と。
アップオアアウト(昇進か退場か)。まさにその世界に生きるならどのような実力であれアウトプットに全力で向き合うのが当たり前で怒られてパフォーマンスが上がるなどということはあり得ないということのようだ。
(まぁ僕の解釈だから彼女の本意は別のところにあるのかもしれないが。)

さて、所変わって銀座のクラブ。
とある医療機器関係のベンチャー企業の社長さんと専務のお供である。
この会社さんは10数年前、最初に訪問した時には10畳くらいの汚い雑居ビルの一室で立ち上ったばかりだったのだが、今では売上高100億を超える企業に成長した。もちろん未上場である。
で、、この社長さん。まぁとにかく怒る。瞬間湯沸かし器とはこのことで、怒りのスイッチが山ほどある上に、自分であちこち怒りの種を探し出してはとにかくすぐ怒るのである。
僕は子供の頃から親父に怒られ続けてきたし、社会人になっても工場で、会議で、取締役会で常に怒られているので、怒られ慣れしていることもあり物怖じしないから付き合いが続いている。(もちろん意味なく怒られるのが好きというわけではない。それは単なるドMだ)
その日も最初はご機嫌だったのだが、なんかのスイッチが入ったらしくホステスそっちのけですっかり専務への説教会となってしまった。
僕もたまに面白半分に専務の肩を持ったりして一緒に怒られる側に周ったりする。いろいろ面白い話が聞けるからだ。

いろいろな成長企業のトップを見渡してみると「いつも不機嫌」「いつも怒っている」キャラの人が結構いる。

僕が知る中堅、中小ベンチャー経営者の中でもこの10年の伸び率で言えば、温厚な経営者と苛烈な経営者のどちらが会社を伸ばしたかというと圧倒的に後者のように思う。

よく巷で言われるのが、
「そういう理不尽に他人に感情をぶつけるような人の元からはみんな去っていきますよ。」
というのなのだが、それはその通りでやっぱり人は去ってゆく。
ただ、温厚なトップの元からもやはり人は一定数去っているし、まったく去らない会社は10年したら潰れてみんな纏めて去っていたりする。

特にスタートアップや中小企業に集まってくる人というのは、当然2段、3段落ちるわけだ。何が落ちるかというと冒頭で嫁が怒っていたような一流のプロフェッショナルとしての意識が落ちる。
確かに怒られて初めて着手したり、気まずくなって頑張る人は少なくない。というか僕も含めてそういう人ばっかりだ。
もちろん怒られるのは嫌だし、雰囲気の悪い職場を好きな人は居ないだろう。だからやっぱり怒られる職場からは人が去ってゆく。

企業の成長というところにフォーカスすれば、結局は誰が残り、誰が去ったかということでしかなく、スクリーニングの一形態としてマネジメントが「常に怒っている」というのが機能しているのでは?と最近は思ってきた。

具体的にマネジメントが怒り続けても組織に残ってる人というのはどういう人か観察していると、

・異常に鈍感な人。(鈍感社員)
・言われたことをとにかくやる人。(リモコン社員)
・指示以上のアウトプットを出す人。(ハイパフォーマー社員)
・指示を出す人を逆に利用しようとする人。(狡猾社員)

で、嫌気がさしたりして去ってしまった人を見ていると、

・異常に繊細な人。(繊細社員)
・自分のペースややり方に固執する人。(我が道社員)
・どうがんばってもアウトプットを出せない人。(ローパフォーマ社員)
・指示を出す人が人間的に好きになりたい人。(善人社員)

と言ったところである。
ちなみに「楽して金を稼ぎたい」と言う人がどっちかというと、実はどっちにも居る。
むしろプンプン会社に残ってたりする。ビジネスは苦労すれば偉いわけでなく利益を上げた奴が偉いのでその効率が高い側にこの手の人は周るだけだ。
アウトプットに対する評価と報酬がきちんと連動していれば、むしろこの手の人はトップが怒り狂ってるような会社にもちゃんと残る。
「楽して金を稼ぎたい」と「成果を出さずに金を稼ぎたい」はまったく別モノであるのであしからず。

経営と言うのは人材を集めて戦うウォーゲームなのだが、当然ゲームである以上それをハックしようとする人も出てくるわけだ。人生かかってるから仕方ない。例えばこういうのだ。

>仕事ができず、技能もない俺が会社で生き残っているやり方 http://anond.hatelabo.jp/20150105213534

少数で結果を出さないといけないスタートアップでは、上記のような人をどうやって他の会社に「重し」として押し付けるかというゲームは非常に重要である。

その方法論として最も陳腐なものがマネジメントが「怒る」ということだともいえるのではないか。
そして、これがそこそこ、いや、とても有効であるからこそ多用され、多用されるからこそ陳腐に見えるだけではないだろうか。

会社において最も盛大に人が去っていくタイミングは実は経営者が理不尽な時でも、社員と一丸になれてない時でもなんでもない。
会社が成長できず「潰れた時」である。

先日、ドワンゴの川上会長が師事していたジブリ鈴木プロデューサーが「倒産した会社のもぬけの殻になった事務所から拾ってきた」から貰って来て会長室前に飾っている額について主にクソみたいなバイラルメディアで拡散されて話題になっていたが、
参考:ドワンゴ川上量生会長が社内に飾っている「去って欲しい社員の条件」に批判殺到 | netgeek http://netgeek.biz/archives/27672
元々これを掲げていた潰れた会社の社長はおそらく「怒りつづけられない」マネジメントだったのではないか。だからこそ、悲痛な経営者の叫びとして「(自発的に)去って欲しい社員の条件」を掲示したのではないか。結局はその甘さは残るべき人が去り、去るべき人が残り、結果として全員が会社を去ることになったとも考えられないだろうか。
毎日「怒り狂ってる」マネジメントの会社では、こういう人はわざわざ明示しなくても去っていく。

川上会長はこの経営というゲームの壮大なパラドックスをこの額を飾ることで面白がり、そしてそれでも尚「怒り続ける」マネジメント以外で成長できる方法を模索されているのではなかろうか。
(社内では怒ってるのかもしれないから知らないけど。)

ちなみに如何に有用だとしても、この「怒り続ける」というのはある種才能でもある。
怒ったら大金がもらえるのだとしてもやり続けられる人は多分ほとんど居ないと思う。それくらい常人の人にはハードルが高い作業である。
誰がどんなにやっても満足しない。どんなに条件がそろっても怒れるポイントを現場に立ち入りほじくりだす。ハードルを越えてくる者があれば更にハードルを上げダメ出しする。
当然みんなに嫌われるし、可愛がった人間もいずれ去ってゆく。
こういう常にむしゃくしゃしている「怒れる才能」を持つトップやマネジメントを経営に組み込むことは僕が見る限り企業の競争環境での生残りにプラスに働くようだ。

「怒る技術」というのでアマゾンを検索したらいろんな人が沢山の本を書いていた。
頭で有用と理解して戦略的に実行しようとするビジネスパーソンは沢山いるようだ。
僕も年に2回くらい本気でキレるときは確かにあるが、怒るポイントを会社中歩き回って探し回ったり、プロセスこじ開けてつるし上げたりまでは全然できない。
自分の経営者としての手腕の限界を感じる寂しい瞬間だ。

そういう時は、怒れる才能のある人とワンセットでその実行をサポートするようにしてバリューを出すことに専念している。

怒れるマネージャーは宝である。まともな人間の何倍も経営とっては価値がある。

そして、そんなことを「価値がある」と言わねばならない経営と言う役割の罪深さは決して冥界の門で許しを乞える代物ではないとも思が、せめて罪滅ぼしにできることは去った人の数以上の人の雇用を生み出すことくらいであろう。

どうせ負けてしまえば、自分の詰まらぬ事業に他人の貴重な人生を巻き込んだという点ではどっちにしろ地獄行きなのだ。

プロフェッショナル意識の高い人が集まったトップティアカンパニー以外の経営では、少なくとも売上100億社員300人くらいまでは一流のマキュベリアンか、怒り狂う人格異常者が経営ゲームで有利そうだなぁとそういう話。
何千億円とか1兆円とかそれ以上はわからない。僕やったことないから。

あと、めちゃめちゃ怒りキャラのトップに対して「外では酷いこと言ってますがあの人は本当は優しいんですよ。僕は何度もその温かさに触れ泣きました。」みたいな側近の話はほとんどの場合一般の人が考えるそれとは違う。
怒られ過ぎてこの人たちはビジネス上のアウトプット出す為に感情が最適化されてしまってる。たまに気まぐれで優しくされると感動してしまだけだと思う(僕もそうだけど)。

まぁ昔から言うじゃないですか。

怒られているうちが華ってね。僕もよくいろんな人に怒られますが本当に幸せなことだと思って今日も持ち場で頑張りますよ。

※文中に出てくる人物や企業などは数値や設定などは実在のケースをブログ用に組み合わせた架空のものです。