台風でも通常出社の会社はブラック企業?

ネットでは、何時の間にやら、台風でもお休みにしない会社はブラックだ!ということを高らかに叫ぶ方たちを見かけるようになった。

http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/27954

その理由は、「どうせ仕事にならない。無駄だ。」「命を危険にさらしてまで仕事なんて行くもんじゃない。」とか、仕事の効率と、社員の安全に関する配慮に立脚しているものがほとんどのようだ。
、、で結論として「そんな中出社させる会社は間違いなくブラックだ!」ということになっている。

幸い東京23区も大きな被害もなく台風が過ぎ去ったのだが、台風が過ぎ去ると同時に、この「〇〇させる企業はブラックだ。」論にやはりなんともいえない不可解な思いが持ち上がってきた。

もちろん、関東全域では大変な被害で、お亡くなりになられた方も居るのでご冥福をお祈りする。
もし23区内でも何か危険なことが起きたらどうすんだ!みたいな話をする人がいるかもしれないが、これからする話は、惨事が起きる起きないは関係なく思うことだ。

「世間一般で認められているしょうがない事態がおきたら、仕事や学校は休んでもいいでしょ?」

という意識を当たり前にしてゆくことは果たして良いことなのだろうか?
この意識というのは、許してもらう側の「だれかに許してもらうこと」を前提とした考え方であり、決して許す側の考えとは違うように思います。

韓非子に、魯の国で、孔子が老父がいるため戦場から三度脱走した男を「忠孝の人」として位を上げたところ、おかげで、魯では敗走を恥としなくなり弱体化して滅んだ。という話が出てきます。

公私の利害が一致しないということを前提に組織ルールによる統治を確立すべきだと韓非は教えているわけです。

複数人で運営する会社や組織においては、多少の困難や煩わしさをいとわず責任を全うしたり、真面目に仕事に取り組む人間がいるからこそ、「やむにやまれぬ事情の人を休ませてあげること」が可能になるわけです。

別に、やむにやまれぬ事情があり定時に遅れたり、休んだりすることで肩身の狭い思いをすることはありませんが、その人たちに合わせたルールの運用にして、お客や他のだれかを犠牲にしたり、効率的か否か?などという狭い尺度で真面目に組織に貢献しようとする人を馬鹿にすることがマトモな人間のすることとは思えません。

そういう単純明快なことを、頭のよいフリをして屁理屈を振り回して、我田引水な理論を正当化しばら撒く輩はやはり、少なくとも褒められたものではないと思います。

「会社を休みにしないブラック企業がおかしい」
じゃなくて、
「なんとか安全にいつも通り来て、出社が難しい人の分まで対応してくれた人ありがとう!」
でいいんじゃないでしょうか?

韓非は、遊説家も「国を捨て、自分勝手な論理を吹聴し人々を扇動して国を滅ぼす」として、天下国家の害虫として駆除すべきだと厳しく非難しています。

興味本位で人を煽る中途半端なブロガーや論客はまさにこの害虫以外の何物でもないと言われないようにしてもらいたいものです。