仕事をするならキャラは自分で立てるもの

ごきげんよう
昔いつものお店のカウンターで食事をしていたら隣の席の女性が「『俺ってちょっと変わっててさ〜』っていう男の普通さったらない。」
と言ってて、ボンゴレビアンコが鼻から出そうになったことがあります。

さて、これまでの人生の中で沢山の会社の方と仕事をさせてもらってきましたが、この人は一流だなぁと思うビジネスパーソンの共通点に「キャラが立っている」というのがあります。
そういうビジネスの第一線の猛者の中には天然モノの魅力的なキャラクターの方が沢山居ていつもその魅力に感動すると共に、自分には無理だなぁと思ってしまいます。
無意識且つ気まぐれな振る舞いの中から他人に自分のキャラクターの魅力を発見してもらいたいという受け身なスタイルで人気者になることを期待するのが僕ら普通の人というものです。

まさに昨年大流行したLet It Go「ありの〜♪ままの〜♪ 姿見せるのよ♪ありのままの〜自分になるの〜何も怖くないの〜♪」という奴ですが、ぶっちゃっけ、僕ら普通の人のありのままなんて誰も興味なんかありません。
ドラえもんには「石ころ帽子」という、被ると道端の石ころのようにそこにいても誰も気づかなくなるというひみつ道具がありましたが、まさに石ころ帽子を被った状態がデフォルトなわけです。

多くの人は自分が主人公の物語を生きているわけですが、自分は他人の物語における「何の役」なのか?どういうキャラクターとして登場したら出番が増えるかを考えないと、石ころ帽子を被ったままの「ありのまま」です。
これが何がまずいかと言うと組織内のいろんな場面で大体損な役回りをさせられるのはそういうキャラがちゃんと定まっていない人。だからです。
そりゃそうですよね。
どんな物語でも、序盤に無残に殺されたり、ひどい目にあわされたり、背景同然の役割だけで終わる人はエンドクレジットでも「通行人A」とかそういう人達なわけです。

僕が最初に言った「一流のビジネスパーソン」はやはり、自分の中に蓄積された「アイデンティティ」とか「自信」と言ったものの発露としてキャラクターの輪郭がはっきりとしていっているのかもしれませんし、ある程度の競争を生き残る為に自分の強みを認識してポジションを争ううちに自然と自分のキャラクター性が強化されているのかなとも思います。

とはいえ、我々「石ころ軍団」も毎回
「成功する見込みはないけれどとりあえずやってるフリだけしとなかいといけないプロジェクトに賑やかしでアサインされる人、A」
とか、
「地雷案件を振られ爆死する人、B」
とかそういう、無残な役回りしかこないというのではあまりにも理不尽です。
なんとか石ころにならず、組織や他人の物語りの中でなくてはならないキャラクターになる術はないものでしょうか?

別に、なりたかねーよ。と思う人もいるでしょうけど、それでろくでもない役ばかりやらされてもしんどいだけですし給料も上がんないですからね。
ビジネス上で有利になりそうな自分のキャラクター設定方法について今日は考えてみます。

■100−1か0+1の手法

銀河英雄伝説」などのヒット作で有名な田中芳樹さんというSF作家が居るのですが、この方の小説はとにかく、どの作品も登場人物が多いです。100人以上の登場人物が出てきてアニメ化すると声優が足りなくなるほどだそうです。
読んでみると分かるのですが、どのキャラクターもシンプルでわかり易く色づけされ印象に残ります。
ある対談で「どうやって大量の登場人物を皆魅力的に書くのか?」という質問を受けた田中先生は非常に興味深いことを言っています。

「100から−1するか、0に+1してキャラクターを作ると魅力的になるんですよ。」

どういうことかというと、

100−1の手法だと
「頭脳は天才、生まれは貴族、超美男子、、、だけど一番好きな絵がとにかく下手でどうしようもない」
とか
「男前で、義理堅い、正義感が強く、武道の達人で向かう所敵なし、、、だが女性にからっきし弱く逃げ回っている。」
とかですね。

逆に0+1の手法だと
「容姿もイマイチ、怠け者な上、成績も落ちこぼれ、、、、だけど、戦争の指揮を執ると天下無敵」
とか
「軽薄で女好き、ちゃらんぽらん、、、、だけど、戦闘機の操縦は超一流の撃墜王

みたいな感じで完全から何かを一つだけマイナスする。もしくは、何もないところに一つだけプラスするというわけです。

リアルの世界に応用すればかなり自分のキャラクターの輪郭がはっきりするのではないでしょうか?
「きちっとしないと気が済まない」というキャラなら、すべてのシーンで杓子定規なくらいに振る舞った上で、ただしお酒を飲んでる時だけちょっと甘くなるとか、
「とにかくゴルフが大好きで年中無休でゴルフの話をしているし、まるで仕事をしているようには見えないが、その代り部下の面倒見と責任はきちっと取る親分肌」といったように、自分のキャラクターを100−1か0+1を意識することでよりキャラクターの輪郭がはっきりして他人の記憶に残り易くなると思います。

ここで作ったキャラクターはとてもわかり易く、人によっては薄っぺらいとか子供だましだと言いたくなるでしょうが、正直、リアルなビジネスシーンでは、それほど相手と接する時間も相手に対する興味もないので、繊細で複雑なキャラクターに自分を設定しても「ヨクワカラナイ人」になるだけです。
SFのキャラクターの味付けくらいでちょうどいいと思いますし、この方法ならシンプルでいろいろな普通の人をベースにシステマチックに魅力的なキャラクターを量産できそうです。

100人居たら100人が個性的なキャラクターでそれぞれの持ち場に生き生きと配役され、持ち場で輝くというのがやはり組織としては理想だと思います。
その為には、持って生まれたオーラを纏う主役級だけでなく、普通の人である僕らが受け身の「ありのまま」でなく、組織や誰かにとってバイネームの魅力的なキャラクターであらんと自分で設定することが必要になってくるでしょう。


■ギャップが魅力的のウソ

先ほど「リアルなビジネスシーンなどでは、それほど相手と接する時間も興味もないので、繊細で複雑なキャラクターに自分を設定しても意味なし」と言いましたが、もう一つ大きな問題があります。
人は相手のプロフィールからステレオタイプなキャラクターであることを本当は期待している。ということです。
よく、恋愛術的な記事に「一見軽そうに見えて、記念日を覚えてるなど、実は誠実な一面を見せると胸キュン(古い)です。」みたいな話がありますが、恋愛はよくわかりませんが、ビジネスシーンではさほど当てはまらないと思います。

僕はお堅いメーカーの中で仕事をしていたので、上司にスーツの着方と上下関係の作法に関しては徹底的に叩き込まれました。
そんな古巣が窮屈で起業した際はTシャツ、ジーパンの念願のラフな格好で仕事をスタートしました。
しかし、立上げ初年度。必死に営業をする中でたまたまスーツを着てある金融機関のお客様に会った時の言葉を受けてそれからスーツで仕事をすることに戻しました。
その方はこう言いました。
「やっぱり、メーカー出身の人は違うね。スーツで来るし、話もしっかりしてる。安心できるよ。」
僕は、自分のキャリアや自分の出自に決して自信を持ってるわけでもなかったですし、むしろ嫌いな方だったので素直に驚きました。
「他人はプロフィールでキャラクターを規定するんだな。そして日本メーカー=真面目というステレオタイプなキャラクターで居てほしいんだな。」と。

そういえば、私の会社員時代の上司は海外プロジェクトのトラブル対応で外国人だらけの中に飛び込んで、「私が来たから大丈夫だ。私は日本のスーパーマンだからね。」と適当なことを言って、上着を大袈裟にがばっと豪快に脱いだかと思うと、突然几帳面にデスクの上に畳むパフォーマンスをしてその場に居たフランス人やオーストラリア人のエンジニア達を大爆笑させ、一気に心をつかんでるところを目にしたことがあります。
何やってるねん。。と冷ややかな目で見てたのですが、その外国人たちは「もう大丈夫だ!僕らにはできない緻密な仕事をする日本人のエンジニアが来てくれた!」となってました。なんじゃそりゃ。
やっぱり海外の人にとっては「几帳面で真面目な日本人」というステレオタイプなものを求められてるシーンはあるのかもしれませんし、そういう期待にうまく乗っかってキャラづくりをすることが仕事上とても有効なこともあるんだなと。
その場に居た唯一の日本人だった僕は「あんたむしろ日本人じゃねーよ。」と思いましたが、グローバルでもこのステレオタイプなキャラ設定は使えそうな気はしています。

■キャラは細部に宿る?

普通の人は折角設定したキャラクターもすぐに輪郭がぼやけるのは、オンオフ問わずライフスタイルまで一貫性をもって「四六時中演じ続けることができないから」というのがあります。
しかしSNSが発展した現在、ひとりの人間としてオンオフの区別なく様々な人達と接点を作ってる時代です。
常に自分のキャラクターを意識した上で、完全に自分の生活をコントロールせよ。とは言いませんが、例えば身に着けるもの一つ、行くところや食べるもの一つとっても、いい大人になってきたら自分のキャラクターを意識したものを心がけることは自分が設定した自分のキャラクターに無意識下で厚みを持たせることになると思います。
黒澤明監督は撮影シーンにタンスが出てきたら開けなくてもその家に住んでることになってる家族全員分の服を入れておけと言ったそうですが、やはりそういう心掛けが人の印象に残るキャラクターとして人の厚みになっていくのだと思います。

さて、ビジネス上で本当に役に立つのかどうかさっぱりわからない話になってしまいましたが、人には注意深く認識したり気に留めたりすることが出来る人間の数に限界があります。
陰日向となく真面目に働いていればきっと見ていてくれる人がいると僕も思いたいですが、見てほしい人の視野にも記憶にも入ってないのに評価しろというのは相手にも酷というものです。
からしっかり自分のキャラクターをうまく魅力的なものに設定した上で、しっかりそれに厚みを持たせた方がいろいろと得をしそうです。
石ころ帽子を頑なに被った上でその上、不遇だ、みじめだと言っていてもはじまりませんからね。

さて、僕も本当は我慢強い方では無いんですがね。

キャラ設定上今回もいつものやつを言って終わりにします。

今日も持ち場で頑張りますよ。

商品に対する愛は事業の拡大を阻害する

ごきげんよう
赤坂を歩いていたのだけれど、赤坂プリンスホテル、通称「赤プリ」の後に立つ再開発ビルがその巨大な姿を完成させつつある。
あの丹下健三デザインの赤坂プリが記憶の中だけになるというのは時間の流れの速さに驚くばかりである。

ふと思い出したが、最後に赤プリに行ったのはあるメガネ販売チェーンの創業者の社葬へ出席した時だった。
とてもよく覚えている。
かつて一世を風靡した激安メガネチェーンの創業者。
それまでは街のメガネ店や眼科で5万、6万円という高価だったメガネを半額近くで安く販売し大衆の心をつかんだ。
豪快な趣味人で、ゴルフ場やG1優勝馬の馬主、プロレス団体まで好きなことには使うお金も豪快だった。
そんな社葬の席をよく覚えているのはある方の故人に対して投げかけられた弔辞の一文のせいだ。
詳しくは失念してしまったがこのような内容だったと思う。

「あなたは最期までメガネのことは解らなかった。お店に行っても決してメガネのことを知ろうとはしなかった。」

さて、一生活者としていろいろな商品サービスと接していると、この商品でこれだけビジネスを大きくする社長さんはさぞこの商品を好きなんだろうな。
と思ったりするのだが、実際にそのジャンルで成功している経営者の方に会ってみるとあっけないくらい自社の業界や商品やサービスに「淡泊」な人が多い事に気づく。
もちろん、ビジネス上必要な知識は持って居るし、業界人として入ってくる情報も多いから当然よく知ってはいるのだが、そのジャンルの所謂「オタク」に比べると商品やサービスに対する愛を感じる人は少ない。
いや愛を感じる経営者は居るが総じてあまりスケールしていない印象がある。
逆に、そのジャンルで大成功を収めている人ほど視野を狭めるほどの〇〇バカではなく、むしろ冷徹に自分たちの扱う商品を見ている。
つまり金儲けの種であり、商売道具であって愛する対象ではないのだ。

これはある種、ストーリーを求めたい消費者視点では不都合な真実でもある。
「愛なきが故の有利なゲーム」というのは利益を最大化したものが勝者である資本主義の人道的視点から見た欠陥ともいえる。
では、なぜ自分たちの商品を愛せないことがビジネスをスケールするのに有利になるのかを今日は少し考えてみよう。

1.人材の確保が上手い

商品への愛ある人の説明は興味のない人間に買ってもらうにはわかりにくい。
少しでも興味がある人の共感を増大させることはできても、多くの人に買ってもらうには難しすぎたり、ピントがずれているのだ。
またビジネスを拡大するにあたっての仲間集めでは自分と話を合うことを優先してしまいがちである。普通は自分が好きなものを何とも思わない人間と一緒に仕事をするのは苦痛だからだ。
しかし、最初から商品への愛がない人がビジネスを設計するときにはそこは気にならない。
素人が素人に商品を販売できるような仕組みを作ることに専念する。
セールスでも製造でも「仕事」として「定型化」し、出来不出来を数値化して管理しようとする。
やっていることが愛とは無縁の世界に堕しても気にならないし、他人にも愛を求めない。
なので色々な人を雇い入れることが出来るし、戦力化することができる。これが強い。

2.広告が上手い

気まぐれコンセプト」や「東京いい店やれる店」、TOKYO FMの長寿番組「アバンティ」などを手掛けるホイチョイ・プロダクションズ馬場康夫さんが、日立宣伝部時代に上司の小平雅一さんと言う方にかけられた言葉として面白かったのが、
「人と違うのは当たり前なんだから、これからは自分の何が人と同じかを考えて生きないと、広告業界では成功できないぞ」というものだ。
これは本当に大切なことで、自分が並々ならぬ愛を商品に持ってしまいうとこの「人と何が同じか?」という感覚が狂ってしまいがちなのだ。
人はそんなにその商品のこと自体に興味なんかなかったりするのに、普通が狂ってるもんだから一生懸命的外れなことを生活者に伝えて買ってもらおうとしてしまう。
メーカーなんかにはそういう人で一杯だ。
それが経営者だともう目も当てられない。挙句の果てにはこれだけ伝えて売れなければ理解できない消費者がバカなんだとなりかねない。
そもそも愛も興味もない人が、自分と同じように愛も興味もない人に振り返ってもらうことを考える方が余程伝わる。
どれだけ技術者が開発に時間がかかろうが、材料にこだわって地球の裏側から調達しようが、そういうことに感動しない方が余程「人と同じ感覚」なわけだ。
だから愛がない経営者がジャッジするか、そもそも愛がないから広告に口を出さず数字でしか評価しないか。
そういう人の方が消費者の心を結果的に上手く掴んだりできる。これが強い。

3.プライシングが上手い

「神は細部に宿る」という日本人がいかにも好きそうな言葉がある。
「職人」は普通の人が思いもつかない部分まで精魂込めて作り込み、違いや本物が分かる「目利き」がこれを評価する。些細な手抜きやごまかしは通用しない。
モノとカネを通じた愛のやりとりがそこにはある。。のかもしれないが、大きな弊害がある。
過剰な機能と装備を盛り、コストをかけすぎてしまい、一部の人の趣向品から脱出できなくなってしまうのだ。
そして商品への愛がそこからの脱出を阻む。
「安物は嫌だ。こんなものは売りたくない。こんなものを掴まされるお客が可愛そうだ。」
そう勝手に思い込み、下げられない製造原価に自分の商品愛から鑑みて納得できる利益を乗せてプライスタグを掲げる。
そして多くの場合その商品の価格設定は高すぎたり安すぎたりする。
愛なき経営者にはそういうのは陥りにくい。
単純に商品への愛なき自分が「いくらだったら自分も買うか?」からプライシング(価格設定)を考えられるからだ。
必要な機能がいくらで満たせれば消費者は財布を開くのか?がプライシングのすべてだ。
愛が詰まっていようが空っぽだろうがメイドイン何処だろうがそんなの関係ない。
そういうマーケティングの基本を忠実に実行できる。これが強い。

4.他社に依存しない独自の成長戦略を構築するのが上手い

1〜3を上手く実行する人というのは間違いなく既存の業界関係者に嫌われる。
既にその業界で地歩を固めてある程度のシンジケートを形成している業界関係者からすれば
「モノの良し悪しが分からない人間を口先三寸の広告を使ってかき集め、素人の寄せ集めが説明して安物をばらまいている(もしくはぼったくっている)」
としか見えないからだ。
しかし、そこも商品に愛がない経営者はへっちゃらだ。
もともと既存の業界関係者自体が狭い世界で閉じこもって不親切なものを高値で売り付けてる連中くらいにしか思えないわけだから当然である。
ちょっと仲間に入りたい気持ちもないわけではないが、自分がやってきたことの何が悪かったのか随分嫌われてしまったようだ。くらいの感じである。
元々興味がないからそこまで深刻にもなりえないし、あちこちに嫌われることで自動的に他社に依存しない成長戦略を選択させることになる。これが強い。

さて、いろいろ考えてきたが、如何だろうか。
商品や事業への愛を持たないことがビジネスをスケールさせる強みになりえるということを書いて来た。
しかし、これを意図的にやることは意外に難しいこともまた付け加えておこうと思う。
経営とは犬も食わないような課題、問題の連続だ。愛なき事業や商品の為にそんな苦しい道のりを走り抜け、全財産と人生を賭けることが出来るならもはやそれはちょっと常人の感覚ではないことだけは確かだ。
まして人様に勧められるような代物では到底ない。
ただ、観察していると、人でも商品でもなく「数値」か「勝利」のいずれかを心から愛している人は成功の狭き門を潜り抜ける確率は幾分高い気はする。

まぁいずれにしても僕には無理そうだから、今日も持ち場でがんばることにしますよ。

では

スタイルを捨てるというスタイル

ごきげんよう

僕が革靴が趣味だというのは以前もブログに何度か書いたのですが、
「僕は革靴が趣味で靴を大切にしていて、それによっていろんな出会いや良いことがあったと自分では思っている。」
という文脈に対して、
「何か少しでも見返りを期待しながらやることは真実の愛ではない。今すぐその靴を全部捨てるべし」とありがたいコメントをしてくれている人がいて、なるほどなぁと思いました。
何かを好きだと言いながらそこから得るものを意識した時点でそれは大いなる欺瞞というわけです。

僕は何しろ一度買った靴を底を修理しながら10年以上履くようななケチですので無駄遣いが嫌いですし、全ては消費ではなく投資でリターンを考えてしまう人間なのでなるほどそういう発想はありませんでした。
物事に対する「真実の愛」について議論するつもりはないのですが、僕としては自分の中に自然と愛が湧き上がってくるまで何もしないより、見返りを求めていろいろなことにチャレンジしてみる方が得だよねという適当な宗派です。

今日はその辺の話を少し。

靴より見返りを期待して始めた事としては僕はゴルフが当てはまります。

僕は最初のキャリアがメーカー系のエンジニアでしたから、例えば広告代理店とか、マスコミとか、商社とかいわゆるイケイケ風のお仕事とはまったく対極のところで最初のビジネスマンとしてのスタイルを作りました。

自分が今のWeb関係の会社の立ち上げをする中で初めて生き物としての広告代理店や商社のイケイケの大人というのを見たわけです。
今はだいぶ変わりましたが、10年前などはまだまだ元気な昔ながらのアドマンとか商社マンとかが居ましたし、そういうオジサンを見るとたまに明らかにゴルフ焼けで真っ黒な人がいるわけです。
これが、ギョーカイなのか。。単純に驚きながらも、天邪鬼に
「よーし、俺は真面目を売りにしていこう。限られた時間でバリューを出す。」とか
「60分の打ち合わせで70分ゴルフの話をするようなのを仕事だと思ってる奴らを滅ぼしてやる!」とか
「今シリコンバレーの最前線ではTシャツ短パンでソースコードを書くのがなんちゃらかんちゃら〜」

といろいろ思って、ゴルフなんて興味ねえし、むしろ絶対やらないぞ!と思っていました。

しばらくそんな調子だったのですが、ある人を見て考え直しまして、ゴルフをするようになりました。

■ある意味プロゴルファーとの出会い

これももう10年くらい前の話なのですが、ある病院の院長先生に仕事の依頼を受けました。
他の病院の先生から紹介を受けて院長先生にプレゼンをして、「いいね。じゃあそれをお願いするよ。」という話になりました。
さて、仕事にとりかかろうとすると、細かい話や請求等はここへ行ってほしいと名刺を渡されました。
病院というのは、医療法人とは別に事務仕事をする法人などを持ってたりするのでそういうものかと思ったのですが、雑居ビルの一室に行くとそこにはパット練習をしているオジサンが居ました。

「???」

聞くとこのオジサンは、大手広告代理店出身の方で、個人代理店としていくつかのクライアントの広告や印刷物などを所謂ハウスエージェンシーのように請け負ってるらしいのです。
そして本人曰く、全てのクライアントがゴルフ友達だそうで、まるで社長さんのゴルフの相手が仕事のような人でした。
打ち合わせをしようとしても、まるでツアープロのように一週間のうち4〜5日ゴルフに行っていて居ないのです。
僕は小さな事務所にぶらさがったカレンダーのうち赤い丸がついていない日を選んで打ち合わせの日を決め、次回の打ち合わせは3週間後ということになりました。

彼は様々な企業や法人に食い込んでいるらしくオーナーや幹部とのゴルフの予定をまず最優先にどんどん入れるので半年先まで予定でギッシリなのです。

多分稼げないプロゴルファーより多くラウンドし、多くの収入を(ビジネスで)得ているようでした。

というかもはやこの人はある意味プロゴルファーです。

僕は圧倒されました。「ゴルフばっかりやって仕事らしい仕事もしない人間は認めないぞ!」と思ってたのですが、僕が見たのは、最終ゴールであるはずの「仕事を獲る」という目的を達成する為、月曜日から金曜日までティーグラウンドに立つプロの姿でした。

「自分は自分のちっぽけなスタイルにしがみついて本来のゴールであるはずの『仕事を獲る事』にストイックになれてないのではないか?」
「自分はお客さんを選べる身分なのか?100人の見込み顧客が居たとして、ゴルフが三度の飯より好きな3人の社長は自分のスタイルに合わないから『客が古い』と見ないフリをするのか?」
「ゴルフだけ(語弊はあるかもしれないがw)で仕事が回るということは、ここにはそれなりの規模のマーケットがあるんではないのか?それを見ないフリをするのか?」

いろいろな思いが頭をよぎりました。

次回の打ち合わせのアポイントメントをお願いし、小さな事務所を出ようとしたとき、僕はプロに呼び止められました。

「おい!君!ちょっと待って。送ってってあげるよ。それにこれ、あげるよ。」

新品のゴルフボールをひょいと投げられました。

「ありがとうございます。。」

プロの運転するベンツのワゴンで送ってもらう道すがら

(僕が間違っていた。ゴルフやらないとな。。)

と自分のちっぽけなスタイルを捨てることにしたのでした。

冷たい大雨の日のことでした。(今考えるとだから多分その日は事務所に居たんでしょうね。)

■ゴルフをして気づいたこと

僕は早速その週末、上野に行きゴルフセットをカードの分割払いで買いました。
僕の周りにはゴルフをする人は居なかったので、教えてくれる人もおらず、仕方なく自宅近くのレッスンに通いました。

なんとかカタチらしいものになりかけてからは、お客さんなどに誘われてもおつきあいが出来る程度にはなりました。
もちろんそれで仕事になるようなことにはなりませんが、一つ大きなことをに気付きました。
これまで気づかなかった視点で物事が見れるようになったことです。
例えば、スポーツビジネス、例えばリゾートビジネス、例えばエグゼクティブやシニアマーケット。
やったことがなかった時にはデータとイメージだけで考えていた事が、自分事として感じ取れるようになりました。
あともう一つ気づいたことがあります。
このスポーツ。いくらやっても全然上手くならない(笑)

自分が何かが無性に好きという気持ちもまた大切ですが、それ以外のことを理解できない趣向として自分の視野から外してしまうよりは、何か見返りを求めてでも何か新しいことにチャレンジしてみることは大切だなと思います。
社会人になるととかく時間とお金に制限が付いてしまうからこそ、新しいことを始めるのは億劫になりがちです。
誰かが夢中になって時間とお金を割いているところにはマーケットがあるし、そうさせるだけの何か仕組みがあるはずですからそれを「理解できないこと」として狭い範囲に生きるより、一度熱心にやってみた上で何か得られるものはないかを貪欲に探ることは大事なんではないかと思います。
別にビジネス本を読んだからってお金が降ってくるわけでもないですし、少なくとも僕が見た「ある意味プロゴルファー」は、横文字いっぱいのビジネス書を電車で読んでる意識高いおっさんより自分の力で沢山稼いでいる様に見えました。
それに人間としても単純に興味がわきますよね。なんだこいつ?と。

ちょっと前に大ヒットしたドラマに「モテキ」というのがあり、音楽好きのモテない主人公が、なにもしてないのに女性にモテモテになる。というコメディでした。
主人公は音楽好きで仕事も音楽ライター、女性にはからっきし縁がなかったはずなのに、自分の好きな趣味が微妙に絡みながらどんどん美女が寄ってくるという「ファンタジー」です。
これがお話しとして面白いのは、「自分がなんとなく興味があることをなんとなくやってるだけで得をしまくる」というのが非現実的だからです。
現実の世界で人にモテる人は、見返りを求めてでも最初興味のない新しいことにもチャレンジしていき、「面白さ」を発見していくような人なんじゃないでしょうか。
僕モテたことないからしりませんが(笑)

なんか分かったような分からない話になりましたが、今日はとりあえず台風でお客様に誘われていたゴルフは流れてしまいました。
なので代わりのアウトプットが何か出せるように今日も持ち場で頑張ることにします。
ブログ書いてる場合じゃなかったですね。

では

「アイデア」なき調整は時間稼ぎであって交渉ではない

世の中は交渉に満ちている。大で言えば、ギリシャの問題でのEUIMFとの交渉しかり、イランと国連安全保障理事国+ドイツでやっている交渉もそう。
華々しいものもあれば水面下のものもあるけれどお互いの利害をぶつけあいながら落としどころを探る交渉は非常に重要かつ大変な仕事だと思う。

さて、小で言えば僕たちの日々の仕事や日常でも交渉事というのはよくある。
イメージしやすいのは例えば営業の仕事。より高く、より沢山お客さんに買ってもらえるように「交渉すること」が仕事そのものである。

時に対立する利害を持つ複数のプレイヤーが合意に至るよう話を纏めるのはまさに「心技体」をフル動員したビジネスの中でも最高に高度な仕事であることには異論はないのだけれど、それを話術や個別の信頼関係、脅しやハッタリなどの交渉術だけで行うのは、クロ―ザーやネゴシエーターと言われる「交渉人」なのかもしれないが、ビジネスパーソンや経営者としてはそれ自体が仕事になってしまってはいけないなと感じるようになってきた。

交渉と混同されがちだけれどまったく違うことに「調整」というのがある。
会社、特に日本の大きな企業の中には、非常に重宝され、ある一定のところまで出世したりする人材の中に「調整型人材」と言われる人が居て、抜群のバランス感覚とコミュニケーション能力、日ごろからの人間関係構築力で社内外のいろいろな人と通じて人に動いてもらえたり、その人から話をすると皆納得してくれるようなそういうポジションを作ってる人がいるものだ。

こういう人は、まるで大岡越前の名裁きのように二方なり三方なりがうまく納得できるぎりぎりの妥協案を「あなたが言うなら、、」と納得させるようなやり方が出来るので、一見組織内は紛争なく円満に進んでるような空気が産まれ「事なかれ」を良しとする人達にとっては神様のような存在に見えるし、尊敬を集めたり、時に上役は下に言いにくいことをやらせる為、下は上に言いにくいことを言う為に便利に使う。
調整役の人間のところには情報が集約され、その情報を都合よく加工(ねじまげて)各所に再配布することであたかも全員の要望がある程度かなえられたかのように錯覚させ、交渉が成立したことにしてしまう。

もちろん、自分の権益ばかりを声高に主張するばかりでなんら物事を前進させようとしない人や、何一つ新しいことをしたがらない人の方が圧倒的に多数なのでこういう調整型人材は彼らに比べればはるかに「技術」としては高度なことをやっているのだが、ただ組織全体が改善したり前進することを正として俯瞰して見た時にこの手のやり方は「交渉」のように見えるけれども課題解決に何ら至っていない問題をあたかも前進したかのように錯覚させ、むしろ時間を浪費しているという厳しい見方もある。

では、ビジネスマンや経営者として心がけるべき真の「交渉」と、単なる時間稼ぎの「調整」との違いは何なのだろう?

僕は、昨日亡くなった任天堂の岩田社長が語っていたスーパーマリオを作ったゲームデザイナーの宮本茂さんの有名な言葉

「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」

(参考 ほぼ日刊イトイ新聞「アイデアとは何か」http://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

という所に本質があるのではないかと思っていて、まさにビジネスパーソンが目指すべき本当の交渉とは「アイデア」があるかどうかなのではないかと思う。

双方に要求を諦めさせ一定のところで妥協するのではなく、双方の接触や協業によって双方の求める利益がより拡大するような「一気に双方の課題を解決するアイデア」が交渉の中に盛り込まれているか?

開発部の交渉は技術的な制限を主張して要件の妥協を迫るものであれば「調整」に過ぎないし、総務部は子供の居る女性が働きやすい職場づくりを「世の中の流れ」として社員に教育するのであればそれも「調整」に過ぎない。

双方の要求が一気に満たせる「アイデア」を常に仕込んだ上で真摯に相手と向き合うのが「交渉」だと思うようにしないといけないなと。

僕も長らく「調整型」のポジションとして周りからも認識されてきたのだけれど、交渉術らしきものが巧みになればなるほど、大変な苦労をした割りには相手からも身内からも双方から恨まれるという「日比谷焼打ち事件」的な状況になる事が増えてきた。

インターネットの登場やグローバル化により猛スピードになってきているビジネスシーンでは毒にも薬にもならない「調整事」を「全体の為を思って泥をかぶる」と思いこんで「アイデアの捻出」から体よく逃げ、問題の先送りしていては組織や会社自体が持たなくなってきている。
なにより、自分だって若いつもりでいてももうアラフォーだ。ゲームデザイナー宮本さんの話を世に紹介してくれた岩田社長やスティージョブズのように自分が50代半ばで人生を終えることだってありえるわけだ。
もしかするとあと15年かそこらかもしれない貴重な人生の時間を結局誰も喜ばない「アイデアなき調整」で消耗するような仕事のやり方をして悦に入るようなことは止めたいなと心を改たにしたという話。

あちこち調整してると仕事してる気分になるから、それで仕事人生をドヤ顔で終われたらなによりだったのですが、なかなか楽はできませんなぁ。
では、今日もなんとか持ち場でアイデアをひねり出せるようがんばりますよ。

悪気なく部下の手柄を横取りする人について

いつものダイニングバー。
カウンターのいつもの席、今日は見慣れない男性が隣でぶつぶつと独り言のように何かを言っている。かなり酒がまわってるようだ。

見た目は僕より4つ、5つ上だろうか。
ずっと知らないフリをしていたが、体がぐらぐらしてきたこともあり「大丈夫ですか?」と一言言ったら、やっと話を聞いてくれる奴が出てきたとばかり捕まってしまった。
どうやら、転職したばかりのある外資系の投資銀行で外国人の上司に手柄を横取りされたとのことで、ボーナスが上司の10分の1になってしまったらしい。
悔しい思いをしたそうで、そういうことはビジネスをしていればままあるよねと同情をしてしまい「じゃぁ、今日は僕のとっておきのワインを奢りますよ。飲みましょう。」といって、ワインを一本振る舞うことにした。
思った以上に長居をしてしまい、その間も同じ愚痴をずっと聞かされていたのだが、最期にポロっと彼が「なんであいつが○億で、、、」と漏らしたのを聞いて、一気に酔いがぶっ飛んだ。
僕のワイン返せ!

さて、例によって長い前置き小話はさておき、上司が部下の手柄を取るなんていうのは日常茶飯事なのがビジネスの世界。
生き馬の目を抜くような競争がある業界なら当たり前のことなのだろう。
今日、話題にしたいのはそういう魑魅魍魎の世界。。。ではなく、頑張ってがんばって、知らない間に部下の手柄を認めない状態になってしまい、組織全体のパフォーマンスを落としてしまう残念なマネジメントについての話である。

>完璧なのに誰もついてこない院長の謎

日経メディカルにこんな記事が出ていた。
「接遇日本一」目指す院長に誰もついていけず
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/clinic/fukumen/201505/542226.html

いわゆるトップが直接マネジメントをしているような「鍋蓋型」組織あるあるである。
医療機関向けのコンサルタントの方が書いた記事なので多分に自分の営業ポジショントークが入ってて、

「院長が患者向けの接遇向上を目指したいが職員が一向に改善しない。」
「院長は完璧な対応をしているが、職員は自分は院長のように優秀にはなれないと最初から諦めてしまっている。」
「院長は大きな声で亭主関白のように話すことがある。」
「すれ違いがありうまくお互いの思いが伝わっておらず行動が改善しない。」
「間にコンサルタントを挟んでコミュニケーションをしたら改善した。」

というお話しなのだが、まぁ、要するに典型的なオレ様上司のパターンである。

「院長が完璧すぎて私たちにはとてもマネできない。」とはよう言うたもんである。
まさに噴飯ものの詭弁であり、完全に組織として機能不全である。
ビジョンの共有が出来ていないというのはトップ向けの営業トークであり、課題解決に関するゲームのルールとゴールとインセンティブを設計せずに、トップの言うことをまじめにやっても全部トップの手柄になっちゃうからあほらしくて誰も動かないだけである。
「部下が自主的に考えて顧客満足度を向上させたい」と言う割に、この手のマネージャやトップにありがちなのは、自分が頑張りたがることだ。
部下がなんかやっても自分の指示が正しかったからで、「ほら見ろ!オレの言う通りやったらうまくいったろ?」と無邪気に自己の満足を追求する傾向がある。

とにかく自分の指示がうまく行ったゲームがしたいのだ。
この「自分の指示がうまく行ったゲーム」を鍋蓋型の組織でやると基本全員萎え萎えになって目が死んで来る。

確かに前述のコンサルタントが言うように、仲介者を通して会話することは有効な手段であるがこれをコンサルに任せていても当然コンサルが居なくなったら元に戻る。


>ここ一番を助けてるつもりがオイシイ所を持って行ってるだけ

こんな話もある。
とある会社の営業部長が今月の契約が部門ノルマにあと1件足らない。
部下を集めとにかくお願いできるところはないか?と話をしたら頼りになる部下Aが「では部長、僕をかわいがってくれるB社の社長さんに泣きついてみます。今から行ってきます!」と頼もしいことを言う。
そこでなんとその部長はなんだかわけのわからん負けん気をだし「俺も行って一緒にお願いする!」とか言う。「どうだ!部下と一緒に汗をかくオレ。」ってな感じである。
部下は思う。「せっかく助けてやろうと思ったのに萎えたわ。」

そもそも、そういう無茶なお願いはもはや損得勘定を超えた世界で普段の個人と個人の付き合いの貯金を切り崩して行う最期の手段である。
先方のB社社長も、その可愛がってる出入りの若者が上司に詰められて可哀想だろうと思い注文の一つもくれるかもしれんと言うのに、普段顔も出さない上役が急に来て注文だけくれなんて言われても、お前がなんとかしろよと思うだろう。

それで仮に注文がもらえたら「オレが足を運んでよかったろ!」と見事な手柄のかすめ取りである。
しかも悪気がないから手のつけようもない。
部下は二度と助けるもんかと思うであろう。またもや目の死んだ鍋蓋組織の誕生である。

DeNAの南場社長は著書の中で「自分はアホだ!」と公言するようになってから会社が成長し始めたと語られているが、さすが南場社長である。

統治とは部下の手柄を奪わないことから始めないと成り立たない。
自分はしっかり部下とコミュニケーションして部下を人格も実績も認めている。と言ってる人に限って、無用なアイデアを開陳したり、ドヤ顔で古い武勇伝を語る。
俺の真似をしないお前が悪いと説教したかと思えば、あんまりうるさいから「うまくいきました〜」と話を合わせる部下に「そうだろそうだろ!すごいだろ!」みたいな茶番をしては喜んでいる。

戦略レベルで優秀な人もこの悪癖を正さなければ戦術レベルの実行が伴わず、ポンコツ鍋蓋組織で何年も苦しむことになる。

いやいやそんなことはない。もっと無茶をしているオレ様社長が大成功しているじゃないか!というマネージャーやトップもいるかもしれない。
だかよく見て欲しい、そういうトップが無茶苦茶言ってるのは側近だけじゃないだろうか?
よくできたNo2、よくできる側近達とは、トップの求める結果をトップのなにを言ってるかわからないド正論やわがまま、時に暴言から拾い上げ、部下に適切な言葉で指示をだし、元々トップが欲しかった結果をトップの手柄として納品できる人達だ。
そういう人達が周りに居ないなら、まずはぐっとこらえてプロセスをマイクロマネジメントをしながら、ひたすら部下の頑張りを引き出すことである。
そして信頼できそうな人を一人見つけたら引き立てた上で自分の側近として育てその人としかヘタなコミュニケーションはとらないことだ。

>オレ様トップの鍋蓋組織で働く部下は?

さて、逆に部下の方はそんなトップを頂いてしまったら、もうどうにも救われないのであろうか? というと、そういうわけでもない。
心地よいだけの仕事をしたい人にとってはまぁどうしようもないからすぐ辞めちゃうのも手かもしれない。
ただ、仕事で何か結果を出したいと思っているならこの手の組織は自分が主体的に動けば改善の余地があり、早期に責任あるポジションに抜擢されたり自由に動ける余地がある。

僕が好きな戦国歴史小説の一幕(誰の書いたものかは忘れたが)にこんな話があった。秀吉は自分が担当した戦場では常に9割以上勝利が確定した情勢になってから信長に「お館さま〜やっぱりワシでは手に負えぬ〜〜だめじゃ〜〜!」と泣きつくというのである。これは最期にトップに明らかに自分の仕事の手柄が分かる状態にした上で「上司のおかげで勝てました。」と手柄を譲ることにより、上司の嫉妬をなくし、同僚にも文句を言わせない為だったという話だ。
なんとも秀吉的ではないか。秀吉が異例の出世をし、信長に絶大な信頼を置かれ様々なチャンスとリソースを与えられたというのは創作だとしても非常に興味深い話だと思っている。

同じことで、この手の自分が常に正しいことを誇示したいタイプのトップはコントロールしやすい。決して張り合って角を突き合わせず、前向きに仕事に取り組んだうえで最期の一押しの部分をトップにやらせてみて「おかげで上手くいきました!」と言ってあげてみてほしい。次からそういう人にはかなり大きな権限が付与されるはずだ。トップは他の人間に話をするよりそういう人を信頼し気持ち良く結果を出そうとする。ま、簡単に言えば茶番である。

バカバカしいと思うかもしれないが自分の待遇を哀れなところから救いだすには究極的には力を握るしかない。
そもそもビジネスは世界の真理を会議室で解き明かすことが目的ではないし、死んだ目をしながら自分の手柄に一生ならない仕事をすることでもない。

上司も部下もお互いの特性を見極めた上で、お互いをマネジメントしながら結果を出すことに注力したいものだと思う。

だれですか?まるで仕事をしないのを「部下の手柄を取らない為」とか正当化してるだけなんじゃいか?なんて失礼なこと言う人は(笑)

さて、今日も持ち場で部下の邪魔にならないようにがんばるとしますよ。

※実際の会社や事例をブログ用に組合せ改変したフィクションです。

個人店に大切にされる1人飲み食いの仕方について

先日、築地で一緒に食事した取引先の人に「銀座も築地もどこに行ってもお店の人が声をかけてくれて、メニューにない美味しいものが出てくる。どうやったらそういうお店との付き合い方ができるのか?」と聞かれた。

そういう風に意識はしたことなかったが、確かに僕は1人でも複数でも夜の食事はほぼ8割方知り合いが居る決まった店に行く。
イタリアンでも寿司でもバーでもそうだし、クラブでもそうだ。(まぁ銀座の知らないクラブに入る勇気は僕にはないがw)
理由は「楽だから」というなんともショボイ理由なのだけれど、彼はそういう店を1軒は持ちたいとのことだった。

最初に主に京橋税務署方面を向いて言っておくが、さぞ会社の金で毎日たらふくうまいものを食っているんだろうというツッコミは下衆の勘繰りというものだ。
僕は仕事関係の会食と自分が1人で気晴らしで飲み喰いをするのは分けているし、すべてポケットマネーを使ってる上に、予算は多少は多いかもしれないが常識的な範囲。そんな高級店には行ってない。

で、、コツを教えてくれと言われたのでいろいろ考えながらしゃべったのだが、僕的にはコツというより、飲み方な気がしてきたので少し頭の中で整理したので落書き程度に書いてみようと思う。

まず大前提がこれだ。

「個人店で金払ったら客という概念は捨てて欲しい」

飲食業は儲からない。チェーン店がオペレーションの統一や集中購買、セントラルキッチンなどの血のにじむような努力をしても大赤字を出してるニュースを見てるだろう。

そんな中、ちょっと気の利いた個人店なんぞ儲かりまくるわけがないのだ。すべてはオーナーに別の金の儲け口から金入れながらやってるとか、美味い物が好きとか、オーナーシェフがやっぱりお店を起点にしてお客さんが喜んで欲しいからがんばってやってることが殆ど。
我々ひとりが払う食事代でお店が黒字転換するほどのインパクトがあるわけでもないわけだから、その上、必要以上の心地よい対応を無理強いするなんぞは傲慢が過ぎる。
しかし残念なことに飲食店で驚くほどこの手の振る舞いをする人は多い。

傍若無人まで行かなくても、迷惑な客というのは居る。
良識ある飲食店の人格者のオーナーやシェフ、板さん達は決して「こんな客は来なくていい」とかは言わないだろうから、僕が空気を読まず客として気をつけている点を書いてみようと思う。

1.とりあえず酒は飲め

昔どっかのシェフが水で金を取った取らないとかで炎上したことがあったが、飲食店の利益は酒代に乗っている。
つまりお酒で儲けているのだからお酒を頼むのはマナーだ。
僕のよく行くイタリアンレストランで頑として水しか飲まない女性客を見たことあるのだが、自分は利益貢献出来ない分飲む友人を連れてくるべきだと思う。

2.気分が良くなっても閉店時間が来たら帰れ

お店をやってる人達はプロだ。自分は明日は休みかもしれないが、彼らは店を開けなければいけないかもしれない。
築地に仕入れに行くかもしれない。
少しお店の人と仲良くなったからといって、あっちから、話に付き合ってくれと言われない限りは他の客が居なくなってもずっとだらだら飲んでるのはやめよう。迷惑だ。

3.他の客にはむやみに絡むな。

東京の夜の街、お酒が入れば出会いがあるのも醍醐味だが、これも注意したい。
お店は来てる客でその品格が決まる。というか、こういう人が飲んでる店ならまた来たいと初めて来た客が思える客になればそのお店にとってはさほどの儲けにならなくても置いておいてよいかと思ってもらえる。
つまりよくできた「インテリア」になれるかが大切なのだ。
ちょっといい女が一人で入ってきたらなめまわすように見たうえですぐに話しかけるおっさんは、単なる営業妨害でしかない。
カウンターの隣からお店の人と楽しそうに話をしてる話題で自分にとっておきのネタがあったとしても、そこは、大人しくしているしかない。
縁があればタイミングは必ずある。
学生ではないのだから、夜の街は間が大切で、自分の都合は置いて、他の客との関係ではなく、まずはお店との関係を大切にすべきなのが少なくともその店に居る限りのルールだと思う。
そもそも、酒癖が悪い人に関しては、大切にしたい店では自分でビール2杯までで必ず出るとか、もはや飲み過ぎない以外に手はないと思う。その後、公園でもカラオケボックスにでもファミレスにでも行ってグダグダになるまで飲めばよい。
つまり「絡み酒をする人」が最悪だということだ。

4.常連は混んで来たら一見に席を譲れ

自分がプライベートで飲んでるとして、お店が繁盛し始めた、たまたま入って来たお客さんが席がいっぱいという場合に、お店から(ごめんなさい!〇〇さん!席いい?)ってサインを送られるようになれば一人前だ。
飲食店において新規の客は大切な収益機会なわけだ。
今、たまたまのれんをくぐった一見さんは、自分にとって心地よいこの店が潰れずにずっと営業してもらえる為の利益を自分と一緒に負担してくれる未来の常連になるかもしれない。
だから、自分は一番いい席を譲るなり、早めに上がるべきだ。
しょうもない常連が居座ってる店はドアを開けた瞬間に分かるもんだ。そういうくだらない店に溜まってる男(女)になるのは自分としても避けたいものだ。
また、自分が常連として顔が効くことを見せようと無茶苦茶をするバカが居る。そういうのもみっともないからやめた方がよい。

5.わがままを言う前に、わがままを聞いて食え

お店には食べてもらいたい料理、飲んでもらいたい酒というものがある。生ものだったり、消費期限があるビジネスだからということもあるし、シェフが味わってほしいもの、試しにメニューに追加してみようかと思うけど意見を聞きたいメニューなどそういうものだ。
自分が食いたいものを作ってもらうなら食券買うようなところで食えばいい。
おすすめを聞いたり、余りモノを食べたり。そういう付き合いが出来ないのに、何か自分に特別なモノを食わせてもらうことを期待するなんて品もなにもあったものじゃない。

6.堂々と謙虚にする

例えさほど通ってないお店でも堂々としていればいい。それは客だからではなく、自分がちぢこまらなければいけないような店に行ってもいくら料理がおいしくてもお金の無駄だからだ。
だが同時に謙虚に振る舞うべきだ。
立派な肩書きがついてんのかもしらんし、何億も稼いでるかもしれない。業界ではちょっとした顔かもしれないが、
お店ではそんなことは関係ない。あくまで席を借りてる1人の男(女)だ。
だから、お店のルールをよく聞いて、しっかり従うこと。お酒を飲んでも丁寧な物言いを心がけること。
そういう人しかお店の人は、来てほしくないし、まして他の大切なお客さんと橋渡しをしたいとも思わないだろう。

7.金が無くても行け。ただしすぐ帰れ。

悲しいかな普通の人間には予算というものがある。毎晩仲間を連れて酒を、料理を振る舞える人はそうは居ない。
だが、一杯きりのお金しかもっていなくても顔を出そう。
そして予算の中で飛び切りのおすすめを食べさせてもらってすぐに帰ろう。
気持ちは行動で伝えるのが大事だ。ただ、人気店で金もないのに席をおさえてもらうのは迷惑をかけるから、
暇な時間に行くなどの配慮はしたい。

8.いつも同じ席に座れ。

これは、とても大切なことなのだけれど、もし座る席を選ばせてもらえるお店なら、必ず同じ席に座るようにしよう。
その席に誰かが座っていたなら、空き次第移動させてもらうのが良いだろう。
何者でもない自分にお店が専用席を用意してくれることはない。自分の席は、自分で決めて座り続けることだ。
そうすればいずれ自分の席になる。
そして、その日座っていなければ、他のお客もお店の人も心配してくれるようになる。
そしてもう一点大事なことだが、可能な限り同じ曜日、同じ時間に行くというのも大切だ。
そして前述したとおり、一度決めたらお金がなくても行くようにしたい。
そのうちきっとあなたが来ることをまってくれるようになる。

9.ワインを持ち込むならお店に断ったうえで抜栓料を多めに払う

ワインを持ち込ませてもらったり、店のセラーに先に寝かせてもらうというのはお店の収益機会を奪っているわけだから、やたらめったらやることではない。
特別な時にやるなら、多めに抜栓料を払う余裕は見せたい。

まぁ、これは僕が勝手に心がけていることで、上からマナーとして言うつもりもないし、そもそも合ってるか間違ってるかも知らない。

食べログ見て、スコアを比べて美味しい店を渡り歩くので別に結構。だけど、沢山のお店がある東京でそれ以外の楽しみもあると思う。
スターバックスのビジネスコンセプトで有名になったサードプレイスという概念がある。
ファーストプレイス(家庭)、セカンドプレイス(職場)以外の第三の場所で、一個人としてくつろげる場所というコンセプトだ。

でも、スターバックスでは一向に満たされない僕の気持ち。

「誰かと飲みたいわけじゃないが、一人ぼっちも味気ない。まっすぐ帰ればよいのだけれどそれをするには疲れすぎた。」

そんな時に、席を用意してくれているお店が僕個人としては故郷よりも価値ある場所だと思っている。

丁度いい距離感の自分だけのサードプレイスはやはり八方気を遣って作るだけの価値はあると思う。
一か所でもそういう場所があることで乗り越えられる恋や仕事の試練もあるのではないだろうか。

さて、今日も持ち場でがんばりますよ。今日もいつもの店のいつもの場所に座るまでは。