仕事をするならキャラは自分で立てるもの

ごきげんよう
昔いつものお店のカウンターで食事をしていたら隣の席の女性が「『俺ってちょっと変わっててさ〜』っていう男の普通さったらない。」
と言ってて、ボンゴレビアンコが鼻から出そうになったことがあります。

さて、これまでの人生の中で沢山の会社の方と仕事をさせてもらってきましたが、この人は一流だなぁと思うビジネスパーソンの共通点に「キャラが立っている」というのがあります。
そういうビジネスの第一線の猛者の中には天然モノの魅力的なキャラクターの方が沢山居ていつもその魅力に感動すると共に、自分には無理だなぁと思ってしまいます。
無意識且つ気まぐれな振る舞いの中から他人に自分のキャラクターの魅力を発見してもらいたいという受け身なスタイルで人気者になることを期待するのが僕ら普通の人というものです。

まさに昨年大流行したLet It Go「ありの〜♪ままの〜♪ 姿見せるのよ♪ありのままの〜自分になるの〜何も怖くないの〜♪」という奴ですが、ぶっちゃっけ、僕ら普通の人のありのままなんて誰も興味なんかありません。
ドラえもんには「石ころ帽子」という、被ると道端の石ころのようにそこにいても誰も気づかなくなるというひみつ道具がありましたが、まさに石ころ帽子を被った状態がデフォルトなわけです。

多くの人は自分が主人公の物語を生きているわけですが、自分は他人の物語における「何の役」なのか?どういうキャラクターとして登場したら出番が増えるかを考えないと、石ころ帽子を被ったままの「ありのまま」です。
これが何がまずいかと言うと組織内のいろんな場面で大体損な役回りをさせられるのはそういうキャラがちゃんと定まっていない人。だからです。
そりゃそうですよね。
どんな物語でも、序盤に無残に殺されたり、ひどい目にあわされたり、背景同然の役割だけで終わる人はエンドクレジットでも「通行人A」とかそういう人達なわけです。

僕が最初に言った「一流のビジネスパーソン」はやはり、自分の中に蓄積された「アイデンティティ」とか「自信」と言ったものの発露としてキャラクターの輪郭がはっきりとしていっているのかもしれませんし、ある程度の競争を生き残る為に自分の強みを認識してポジションを争ううちに自然と自分のキャラクター性が強化されているのかなとも思います。

とはいえ、我々「石ころ軍団」も毎回
「成功する見込みはないけれどとりあえずやってるフリだけしとなかいといけないプロジェクトに賑やかしでアサインされる人、A」
とか、
「地雷案件を振られ爆死する人、B」
とかそういう、無残な役回りしかこないというのではあまりにも理不尽です。
なんとか石ころにならず、組織や他人の物語りの中でなくてはならないキャラクターになる術はないものでしょうか?

別に、なりたかねーよ。と思う人もいるでしょうけど、それでろくでもない役ばかりやらされてもしんどいだけですし給料も上がんないですからね。
ビジネス上で有利になりそうな自分のキャラクター設定方法について今日は考えてみます。

■100−1か0+1の手法

銀河英雄伝説」などのヒット作で有名な田中芳樹さんというSF作家が居るのですが、この方の小説はとにかく、どの作品も登場人物が多いです。100人以上の登場人物が出てきてアニメ化すると声優が足りなくなるほどだそうです。
読んでみると分かるのですが、どのキャラクターもシンプルでわかり易く色づけされ印象に残ります。
ある対談で「どうやって大量の登場人物を皆魅力的に書くのか?」という質問を受けた田中先生は非常に興味深いことを言っています。

「100から−1するか、0に+1してキャラクターを作ると魅力的になるんですよ。」

どういうことかというと、

100−1の手法だと
「頭脳は天才、生まれは貴族、超美男子、、、だけど一番好きな絵がとにかく下手でどうしようもない」
とか
「男前で、義理堅い、正義感が強く、武道の達人で向かう所敵なし、、、だが女性にからっきし弱く逃げ回っている。」
とかですね。

逆に0+1の手法だと
「容姿もイマイチ、怠け者な上、成績も落ちこぼれ、、、、だけど、戦争の指揮を執ると天下無敵」
とか
「軽薄で女好き、ちゃらんぽらん、、、、だけど、戦闘機の操縦は超一流の撃墜王

みたいな感じで完全から何かを一つだけマイナスする。もしくは、何もないところに一つだけプラスするというわけです。

リアルの世界に応用すればかなり自分のキャラクターの輪郭がはっきりするのではないでしょうか?
「きちっとしないと気が済まない」というキャラなら、すべてのシーンで杓子定規なくらいに振る舞った上で、ただしお酒を飲んでる時だけちょっと甘くなるとか、
「とにかくゴルフが大好きで年中無休でゴルフの話をしているし、まるで仕事をしているようには見えないが、その代り部下の面倒見と責任はきちっと取る親分肌」といったように、自分のキャラクターを100−1か0+1を意識することでよりキャラクターの輪郭がはっきりして他人の記憶に残り易くなると思います。

ここで作ったキャラクターはとてもわかり易く、人によっては薄っぺらいとか子供だましだと言いたくなるでしょうが、正直、リアルなビジネスシーンでは、それほど相手と接する時間も相手に対する興味もないので、繊細で複雑なキャラクターに自分を設定しても「ヨクワカラナイ人」になるだけです。
SFのキャラクターの味付けくらいでちょうどいいと思いますし、この方法ならシンプルでいろいろな普通の人をベースにシステマチックに魅力的なキャラクターを量産できそうです。

100人居たら100人が個性的なキャラクターでそれぞれの持ち場に生き生きと配役され、持ち場で輝くというのがやはり組織としては理想だと思います。
その為には、持って生まれたオーラを纏う主役級だけでなく、普通の人である僕らが受け身の「ありのまま」でなく、組織や誰かにとってバイネームの魅力的なキャラクターであらんと自分で設定することが必要になってくるでしょう。


■ギャップが魅力的のウソ

先ほど「リアルなビジネスシーンなどでは、それほど相手と接する時間も興味もないので、繊細で複雑なキャラクターに自分を設定しても意味なし」と言いましたが、もう一つ大きな問題があります。
人は相手のプロフィールからステレオタイプなキャラクターであることを本当は期待している。ということです。
よく、恋愛術的な記事に「一見軽そうに見えて、記念日を覚えてるなど、実は誠実な一面を見せると胸キュン(古い)です。」みたいな話がありますが、恋愛はよくわかりませんが、ビジネスシーンではさほど当てはまらないと思います。

僕はお堅いメーカーの中で仕事をしていたので、上司にスーツの着方と上下関係の作法に関しては徹底的に叩き込まれました。
そんな古巣が窮屈で起業した際はTシャツ、ジーパンの念願のラフな格好で仕事をスタートしました。
しかし、立上げ初年度。必死に営業をする中でたまたまスーツを着てある金融機関のお客様に会った時の言葉を受けてそれからスーツで仕事をすることに戻しました。
その方はこう言いました。
「やっぱり、メーカー出身の人は違うね。スーツで来るし、話もしっかりしてる。安心できるよ。」
僕は、自分のキャリアや自分の出自に決して自信を持ってるわけでもなかったですし、むしろ嫌いな方だったので素直に驚きました。
「他人はプロフィールでキャラクターを規定するんだな。そして日本メーカー=真面目というステレオタイプなキャラクターで居てほしいんだな。」と。

そういえば、私の会社員時代の上司は海外プロジェクトのトラブル対応で外国人だらけの中に飛び込んで、「私が来たから大丈夫だ。私は日本のスーパーマンだからね。」と適当なことを言って、上着を大袈裟にがばっと豪快に脱いだかと思うと、突然几帳面にデスクの上に畳むパフォーマンスをしてその場に居たフランス人やオーストラリア人のエンジニア達を大爆笑させ、一気に心をつかんでるところを目にしたことがあります。
何やってるねん。。と冷ややかな目で見てたのですが、その外国人たちは「もう大丈夫だ!僕らにはできない緻密な仕事をする日本人のエンジニアが来てくれた!」となってました。なんじゃそりゃ。
やっぱり海外の人にとっては「几帳面で真面目な日本人」というステレオタイプなものを求められてるシーンはあるのかもしれませんし、そういう期待にうまく乗っかってキャラづくりをすることが仕事上とても有効なこともあるんだなと。
その場に居た唯一の日本人だった僕は「あんたむしろ日本人じゃねーよ。」と思いましたが、グローバルでもこのステレオタイプなキャラ設定は使えそうな気はしています。

■キャラは細部に宿る?

普通の人は折角設定したキャラクターもすぐに輪郭がぼやけるのは、オンオフ問わずライフスタイルまで一貫性をもって「四六時中演じ続けることができないから」というのがあります。
しかしSNSが発展した現在、ひとりの人間としてオンオフの区別なく様々な人達と接点を作ってる時代です。
常に自分のキャラクターを意識した上で、完全に自分の生活をコントロールせよ。とは言いませんが、例えば身に着けるもの一つ、行くところや食べるもの一つとっても、いい大人になってきたら自分のキャラクターを意識したものを心がけることは自分が設定した自分のキャラクターに無意識下で厚みを持たせることになると思います。
黒澤明監督は撮影シーンにタンスが出てきたら開けなくてもその家に住んでることになってる家族全員分の服を入れておけと言ったそうですが、やはりそういう心掛けが人の印象に残るキャラクターとして人の厚みになっていくのだと思います。

さて、ビジネス上で本当に役に立つのかどうかさっぱりわからない話になってしまいましたが、人には注意深く認識したり気に留めたりすることが出来る人間の数に限界があります。
陰日向となく真面目に働いていればきっと見ていてくれる人がいると僕も思いたいですが、見てほしい人の視野にも記憶にも入ってないのに評価しろというのは相手にも酷というものです。
からしっかり自分のキャラクターをうまく魅力的なものに設定した上で、しっかりそれに厚みを持たせた方がいろいろと得をしそうです。
石ころ帽子を頑なに被った上でその上、不遇だ、みじめだと言っていてもはじまりませんからね。

さて、僕も本当は我慢強い方では無いんですがね。

キャラ設定上今回もいつものやつを言って終わりにします。

今日も持ち場で頑張りますよ。