「アイデア」なき調整は時間稼ぎであって交渉ではない

世の中は交渉に満ちている。大で言えば、ギリシャの問題でのEUIMFとの交渉しかり、イランと国連安全保障理事国+ドイツでやっている交渉もそう。
華々しいものもあれば水面下のものもあるけれどお互いの利害をぶつけあいながら落としどころを探る交渉は非常に重要かつ大変な仕事だと思う。

さて、小で言えば僕たちの日々の仕事や日常でも交渉事というのはよくある。
イメージしやすいのは例えば営業の仕事。より高く、より沢山お客さんに買ってもらえるように「交渉すること」が仕事そのものである。

時に対立する利害を持つ複数のプレイヤーが合意に至るよう話を纏めるのはまさに「心技体」をフル動員したビジネスの中でも最高に高度な仕事であることには異論はないのだけれど、それを話術や個別の信頼関係、脅しやハッタリなどの交渉術だけで行うのは、クロ―ザーやネゴシエーターと言われる「交渉人」なのかもしれないが、ビジネスパーソンや経営者としてはそれ自体が仕事になってしまってはいけないなと感じるようになってきた。

交渉と混同されがちだけれどまったく違うことに「調整」というのがある。
会社、特に日本の大きな企業の中には、非常に重宝され、ある一定のところまで出世したりする人材の中に「調整型人材」と言われる人が居て、抜群のバランス感覚とコミュニケーション能力、日ごろからの人間関係構築力で社内外のいろいろな人と通じて人に動いてもらえたり、その人から話をすると皆納得してくれるようなそういうポジションを作ってる人がいるものだ。

こういう人は、まるで大岡越前の名裁きのように二方なり三方なりがうまく納得できるぎりぎりの妥協案を「あなたが言うなら、、」と納得させるようなやり方が出来るので、一見組織内は紛争なく円満に進んでるような空気が産まれ「事なかれ」を良しとする人達にとっては神様のような存在に見えるし、尊敬を集めたり、時に上役は下に言いにくいことをやらせる為、下は上に言いにくいことを言う為に便利に使う。
調整役の人間のところには情報が集約され、その情報を都合よく加工(ねじまげて)各所に再配布することであたかも全員の要望がある程度かなえられたかのように錯覚させ、交渉が成立したことにしてしまう。

もちろん、自分の権益ばかりを声高に主張するばかりでなんら物事を前進させようとしない人や、何一つ新しいことをしたがらない人の方が圧倒的に多数なのでこういう調整型人材は彼らに比べればはるかに「技術」としては高度なことをやっているのだが、ただ組織全体が改善したり前進することを正として俯瞰して見た時にこの手のやり方は「交渉」のように見えるけれども課題解決に何ら至っていない問題をあたかも前進したかのように錯覚させ、むしろ時間を浪費しているという厳しい見方もある。

では、ビジネスマンや経営者として心がけるべき真の「交渉」と、単なる時間稼ぎの「調整」との違いは何なのだろう?

僕は、昨日亡くなった任天堂の岩田社長が語っていたスーパーマリオを作ったゲームデザイナーの宮本茂さんの有名な言葉

「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」

(参考 ほぼ日刊イトイ新聞「アイデアとは何か」http://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

という所に本質があるのではないかと思っていて、まさにビジネスパーソンが目指すべき本当の交渉とは「アイデア」があるかどうかなのではないかと思う。

双方に要求を諦めさせ一定のところで妥協するのではなく、双方の接触や協業によって双方の求める利益がより拡大するような「一気に双方の課題を解決するアイデア」が交渉の中に盛り込まれているか?

開発部の交渉は技術的な制限を主張して要件の妥協を迫るものであれば「調整」に過ぎないし、総務部は子供の居る女性が働きやすい職場づくりを「世の中の流れ」として社員に教育するのであればそれも「調整」に過ぎない。

双方の要求が一気に満たせる「アイデア」を常に仕込んだ上で真摯に相手と向き合うのが「交渉」だと思うようにしないといけないなと。

僕も長らく「調整型」のポジションとして周りからも認識されてきたのだけれど、交渉術らしきものが巧みになればなるほど、大変な苦労をした割りには相手からも身内からも双方から恨まれるという「日比谷焼打ち事件」的な状況になる事が増えてきた。

インターネットの登場やグローバル化により猛スピードになってきているビジネスシーンでは毒にも薬にもならない「調整事」を「全体の為を思って泥をかぶる」と思いこんで「アイデアの捻出」から体よく逃げ、問題の先送りしていては組織や会社自体が持たなくなってきている。
なにより、自分だって若いつもりでいてももうアラフォーだ。ゲームデザイナー宮本さんの話を世に紹介してくれた岩田社長やスティージョブズのように自分が50代半ばで人生を終えることだってありえるわけだ。
もしかするとあと15年かそこらかもしれない貴重な人生の時間を結局誰も喜ばない「アイデアなき調整」で消耗するような仕事のやり方をして悦に入るようなことは止めたいなと心を改たにしたという話。

あちこち調整してると仕事してる気分になるから、それで仕事人生をドヤ顔で終われたらなによりだったのですが、なかなか楽はできませんなぁ。
では、今日もなんとか持ち場でアイデアをひねり出せるようがんばりますよ。