商品に対する愛は事業の拡大を阻害する

ごきげんよう
赤坂を歩いていたのだけれど、赤坂プリンスホテル、通称「赤プリ」の後に立つ再開発ビルがその巨大な姿を完成させつつある。
あの丹下健三デザインの赤坂プリが記憶の中だけになるというのは時間の流れの速さに驚くばかりである。

ふと思い出したが、最後に赤プリに行ったのはあるメガネ販売チェーンの創業者の社葬へ出席した時だった。
とてもよく覚えている。
かつて一世を風靡した激安メガネチェーンの創業者。
それまでは街のメガネ店や眼科で5万、6万円という高価だったメガネを半額近くで安く販売し大衆の心をつかんだ。
豪快な趣味人で、ゴルフ場やG1優勝馬の馬主、プロレス団体まで好きなことには使うお金も豪快だった。
そんな社葬の席をよく覚えているのはある方の故人に対して投げかけられた弔辞の一文のせいだ。
詳しくは失念してしまったがこのような内容だったと思う。

「あなたは最期までメガネのことは解らなかった。お店に行っても決してメガネのことを知ろうとはしなかった。」

さて、一生活者としていろいろな商品サービスと接していると、この商品でこれだけビジネスを大きくする社長さんはさぞこの商品を好きなんだろうな。
と思ったりするのだが、実際にそのジャンルで成功している経営者の方に会ってみるとあっけないくらい自社の業界や商品やサービスに「淡泊」な人が多い事に気づく。
もちろん、ビジネス上必要な知識は持って居るし、業界人として入ってくる情報も多いから当然よく知ってはいるのだが、そのジャンルの所謂「オタク」に比べると商品やサービスに対する愛を感じる人は少ない。
いや愛を感じる経営者は居るが総じてあまりスケールしていない印象がある。
逆に、そのジャンルで大成功を収めている人ほど視野を狭めるほどの〇〇バカではなく、むしろ冷徹に自分たちの扱う商品を見ている。
つまり金儲けの種であり、商売道具であって愛する対象ではないのだ。

これはある種、ストーリーを求めたい消費者視点では不都合な真実でもある。
「愛なきが故の有利なゲーム」というのは利益を最大化したものが勝者である資本主義の人道的視点から見た欠陥ともいえる。
では、なぜ自分たちの商品を愛せないことがビジネスをスケールするのに有利になるのかを今日は少し考えてみよう。

1.人材の確保が上手い

商品への愛ある人の説明は興味のない人間に買ってもらうにはわかりにくい。
少しでも興味がある人の共感を増大させることはできても、多くの人に買ってもらうには難しすぎたり、ピントがずれているのだ。
またビジネスを拡大するにあたっての仲間集めでは自分と話を合うことを優先してしまいがちである。普通は自分が好きなものを何とも思わない人間と一緒に仕事をするのは苦痛だからだ。
しかし、最初から商品への愛がない人がビジネスを設計するときにはそこは気にならない。
素人が素人に商品を販売できるような仕組みを作ることに専念する。
セールスでも製造でも「仕事」として「定型化」し、出来不出来を数値化して管理しようとする。
やっていることが愛とは無縁の世界に堕しても気にならないし、他人にも愛を求めない。
なので色々な人を雇い入れることが出来るし、戦力化することができる。これが強い。

2.広告が上手い

気まぐれコンセプト」や「東京いい店やれる店」、TOKYO FMの長寿番組「アバンティ」などを手掛けるホイチョイ・プロダクションズ馬場康夫さんが、日立宣伝部時代に上司の小平雅一さんと言う方にかけられた言葉として面白かったのが、
「人と違うのは当たり前なんだから、これからは自分の何が人と同じかを考えて生きないと、広告業界では成功できないぞ」というものだ。
これは本当に大切なことで、自分が並々ならぬ愛を商品に持ってしまいうとこの「人と何が同じか?」という感覚が狂ってしまいがちなのだ。
人はそんなにその商品のこと自体に興味なんかなかったりするのに、普通が狂ってるもんだから一生懸命的外れなことを生活者に伝えて買ってもらおうとしてしまう。
メーカーなんかにはそういう人で一杯だ。
それが経営者だともう目も当てられない。挙句の果てにはこれだけ伝えて売れなければ理解できない消費者がバカなんだとなりかねない。
そもそも愛も興味もない人が、自分と同じように愛も興味もない人に振り返ってもらうことを考える方が余程伝わる。
どれだけ技術者が開発に時間がかかろうが、材料にこだわって地球の裏側から調達しようが、そういうことに感動しない方が余程「人と同じ感覚」なわけだ。
だから愛がない経営者がジャッジするか、そもそも愛がないから広告に口を出さず数字でしか評価しないか。
そういう人の方が消費者の心を結果的に上手く掴んだりできる。これが強い。

3.プライシングが上手い

「神は細部に宿る」という日本人がいかにも好きそうな言葉がある。
「職人」は普通の人が思いもつかない部分まで精魂込めて作り込み、違いや本物が分かる「目利き」がこれを評価する。些細な手抜きやごまかしは通用しない。
モノとカネを通じた愛のやりとりがそこにはある。。のかもしれないが、大きな弊害がある。
過剰な機能と装備を盛り、コストをかけすぎてしまい、一部の人の趣向品から脱出できなくなってしまうのだ。
そして商品への愛がそこからの脱出を阻む。
「安物は嫌だ。こんなものは売りたくない。こんなものを掴まされるお客が可愛そうだ。」
そう勝手に思い込み、下げられない製造原価に自分の商品愛から鑑みて納得できる利益を乗せてプライスタグを掲げる。
そして多くの場合その商品の価格設定は高すぎたり安すぎたりする。
愛なき経営者にはそういうのは陥りにくい。
単純に商品への愛なき自分が「いくらだったら自分も買うか?」からプライシング(価格設定)を考えられるからだ。
必要な機能がいくらで満たせれば消費者は財布を開くのか?がプライシングのすべてだ。
愛が詰まっていようが空っぽだろうがメイドイン何処だろうがそんなの関係ない。
そういうマーケティングの基本を忠実に実行できる。これが強い。

4.他社に依存しない独自の成長戦略を構築するのが上手い

1〜3を上手く実行する人というのは間違いなく既存の業界関係者に嫌われる。
既にその業界で地歩を固めてある程度のシンジケートを形成している業界関係者からすれば
「モノの良し悪しが分からない人間を口先三寸の広告を使ってかき集め、素人の寄せ集めが説明して安物をばらまいている(もしくはぼったくっている)」
としか見えないからだ。
しかし、そこも商品に愛がない経営者はへっちゃらだ。
もともと既存の業界関係者自体が狭い世界で閉じこもって不親切なものを高値で売り付けてる連中くらいにしか思えないわけだから当然である。
ちょっと仲間に入りたい気持ちもないわけではないが、自分がやってきたことの何が悪かったのか随分嫌われてしまったようだ。くらいの感じである。
元々興味がないからそこまで深刻にもなりえないし、あちこちに嫌われることで自動的に他社に依存しない成長戦略を選択させることになる。これが強い。

さて、いろいろ考えてきたが、如何だろうか。
商品や事業への愛を持たないことがビジネスをスケールさせる強みになりえるということを書いて来た。
しかし、これを意図的にやることは意外に難しいこともまた付け加えておこうと思う。
経営とは犬も食わないような課題、問題の連続だ。愛なき事業や商品の為にそんな苦しい道のりを走り抜け、全財産と人生を賭けることが出来るならもはやそれはちょっと常人の感覚ではないことだけは確かだ。
まして人様に勧められるような代物では到底ない。
ただ、観察していると、人でも商品でもなく「数値」か「勝利」のいずれかを心から愛している人は成功の狭き門を潜り抜ける確率は幾分高い気はする。

まぁいずれにしても僕には無理そうだから、今日も持ち場でがんばることにしますよ。

では