ヒロ内藤から学んだ世界で働く為の5つのルール

若田さんが宇宙から帰還された。お疲れ様でした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140515-00000075-san-sctch

僕もかつて皆と同じく父が買ってくれた図鑑を見ながら、空を見上げ宇宙に思いをはせる少年でしたから宇宙飛行士の方のニュースを見るたびに胸が熱くなってしまう。

さて、今では多くの日本人の宇宙飛行士が活躍しているが、日本人初の女性宇宙飛行士をご存じだろうか?
もちろんご存じだろう。向井千秋さんである。
あまり普通の人には知られていないが向井(旧姓内藤)千秋さんには弟さんがいらっしゃり、この方を内藤裕文(ないとうひろふみ)さん、通称ヒロ内藤と言う。実は僕を始め「ゲームフィッシング」を趣味に持つ人間にとっては超のつく有名人である。
むしろ、向井千秋さんの弟ではなく、僕らゲームフィッシャーマンからすれば「あの」ヒロ内藤のお姉ちゃんがついに宇宙に行ったのである。

1.ヒロ内藤とは

ヒロ内藤は、フロリダ在住のゲームフィッシングのプロアングラー(プロの釣り師)で、アメリカの老舗ルアー(疑似餌)メーカープラドコ社のアジア太平洋地区責任者だ。
僕が田舎者の少年の頃は釣りくらいしかすることが無かったので、年間100日はバス釣りに行っていたものだが、ヒロ内藤が紹介する本場アメリカのバスフィッシング情報を心待ちにしていたし、ヒロ内藤スペシャルのロッド(釣竿)が僕の宝物だった。

さて、そのヒロ内藤の話をなぜ今するかと言うと、日本人としての我々の生き様としては、輝かしい日本人宇宙飛行士という本流だけでなく、そこから外れてもまた、素晴らしい仕事観、職業観、日本人としての生き様があることをフィッシングファン以外にも知ってほしいからだ。

2.ヒロ内藤の生い立ちとジムバグリーとの出会い

ヒロ内藤は昭和30年群馬県生まれ 子供の頃は体が弱かった為、運動を制限され、気晴らしに両親が釣りに連れていったのが後々一生の仕事とする釣りとの出会いだったそうだ。
その後もあらゆる釣りをやりながら特にバスフィッシングにはまり学生時代は湖に通い詰めたそうだ。
ヒロもまた姉と同じく宇宙への夢を心に秘め九州の大学で航空工学を学び、そして大学卒業後1978年に渡米し、フロリダ工科大学へ留学、その後南アラバマ大学に移り、コンピュータサイエンスマーケティング、マネージメントを学ぶ。

しかし生まれつき体が弱かったヒロ内藤には、残酷にも宇宙飛行士への道は開けない。
ヒロは内定していたカリフォルニアのコンピューター会社に就職するか、フィッシングガイドのバイトをする中で偶然知り合ったルアーメーカー界の重鎮ジムバグリーのバグリー社に入社するかの岐路に立った。
そして悩んだ末ジムバグリーの元で働くことに決めたのである。

ヒロは大学卒業3か月前にバグリーに面接を申し込んだ。
バグリーはヒロのレジュメ(履歴書)を見て腰を抜かした。
そこには航空宇宙工学、コンピュータサイエンスマーケティングなどあらゆる科学分野とビジネスに対する深い造詣が記されていたからだ。
バグリーは驚いて思わず、「お前はいったい何になりたいんだ?」と聞く。

それに対して答えたヒロの回答がまたしびれる。

「私は自分が興味が持ったことを全て学んだが、これら全てがこれからの仕事に役に立つはずで、何一つ無駄にはなりません。」

と言ったのだ。
それ以来ジムバグリーは、「ヒロがうちの息子だったら。。」が口癖になったそうだ。

ヒロはその深い科学的なバックボーンを持ってデュポンなどの大手メーカーが牛耳っていたライン(釣り糸)マーケットに対してその開発、プロデュース、マーケティングを行い、確固たる地位を築く。

その時の逸話が面白い。
ジムバグリーはラインという新規事業への参入をどうしてもしたいと言った時に、ヒロは反対したそうだ。
ヒロは、マーケティングのプロでもあったので、トップ2社の宣伝広告費用によって、販売のシェアが決定されている寡占市場で今から市場原理を覆すことは難しいという結論を出していたのである。
しかし、バグリーは絶対にその方針を譲らない。
そこでヒロはバグリーを見捨てるわけではなく、その一見不可能な勝負に全知全能を注ぎ挑む。彼はサムライだからである。
彼はマーケティング的な観点からユーザーが購入意思決定をするポイントを見極め、徹底した差別化を行い、当時画期的であった「コポリマー」と言われる素材の「細く」「強い」釣り糸の開発をし、大ヒットさせジムバグリーの夢を叶え、イノベーションが無かった寡占市場に激震を走らせる。

3.バグリーとの別れと移籍

彼は、ジムバグリーがバグリー社自体を健康問題から他社に売却した後も、わずかな事業と共にジムバグリーの元に仕え続けたが、既に業界で地位を確立していたヒロへの他社からのスカウトは常にやむことはなかった。
しかし、ヒロは「私の一存で決められることではない。どうしてもと言うなら、ジムに相談してほしい。」と言ってすべて断ってしまう。
そして、いよいよジムが健康状態がビジネスを続けられる状態ではなくなったのを見て、最大手メーカーであるプラドコ社がジムに直接談判し、ヒロ内藤の移籍を承認してもらい現職であるプラドコ社のアジア太平洋地域の統括責任者として移籍するのだ。

ここもしびれるところだ。これは日本企業の上司と部下の人情話ではないのだ。
アメリカのビジネスの第一線の話である。
どこまでもヒロは筋を通すサムライなのだ。

日米のゲームフィッシング界ではヒロ内藤はエンジニアであり科学者であり研究者であり、プレスアングラーでありアウトドアライターでありプロフィッシャーマンとして広く尊敬されているが、なによりもその人格と世界観が世界中のフィッシャーマンに深く感銘を与えている。

4.宇宙へ

実の姉である向井千秋氏は医師としての道に進み弟の夢を宇宙飛行士として弟に代わって叶えることになるが、そもそも向井千秋氏が医師を志したのは生まれつき体が弱かった弟を治したいという思いからであったそうだ。

ヒロも実はのちに、1992年ケネディー宇宙センターから打ち上げられたスペースシャトル エデンバー号での錦鯉を使った宇宙酔いの実験や、後の姉の実験のバックアップメンバーの一員として参加している。
もちろん、向井千秋の弟だからではなく、宇宙工学と魚の生態両方に精通した稀有な科学者としてである。

粘り強く自分の活きる領域で努力した後、夢を別の形で叶えることになったわけだ。

5.ヒロ内藤の生き様から学ぶこと

僕は、ネット上で日々語られるグローバル人材の話や叶わぬ夢、自分の仕事に対してどう取り組むべきかの議論を聞くたび、ヒロ内藤の生き様から学んだ点について思い出す。

①必ずしも、本流の夢が叶わなくとも、一生懸命学んだ幅広い知識や技術は自分の人生を切り開く。

②出会いを大切にし、お世話になった方には必ず筋を通し、全力で支えることで信頼が積みあがる。

③自分の意見は言ったとしても、ひとたびトップが決めた方針には従い、全力でその成功に向けて尽力することで仲間からの信頼が得られ事業の成功に近づく。

④自分が世界のどこに居ても「日本人」らしくあること。むしろ世界に出れば出るほど、期待されているのは、「サムライ」であることを忘れないことが世界中で通用するグローバル人材であることに気付くこと。

⑤どういう巡り合せになっても、卑屈にならず自分の仕事に誇りを持つこと。

本来はプラドコジャパンのサイトを見ればいいのだけれど、
http://pradcojapan.com/

サイトがデータまるごとぶっ飛んでしまったらしく(笑)復旧もいつになるかわからないので、ゲームフィッシング業界では、今更の話をあえて私の記憶とネット上の情報を元に書かせてもらった。

(後から発見したが、内藤裕文氏の経歴についてはこちらに詳しく書いてあるページがある。参考にさせていただき僕の記憶が曖昧だった部分を加筆修正させていただいた。
http://www.american-bass-shop.com/

宇宙から日本人飛行士が帰る度、素直に同胞を誇りに思い、また宇宙に行かずとも自分の領域で活躍し尊敬を集めるヒロ内藤の生き様を参考に地球に残った僕らも、またそれぞれの持ち場で頑張ることが肝要だと思う。