「いらち」と「故障」と愛について

ふと「いらち」という言葉を思い出した。
東京に住んで16年。忘れかけていたこの言葉。
大阪弁で言うところの「せっかちな人」「気が短い人」「イライラしやすい人」という意味である。

ここ数年、自分が気に入って手に入れて、好きで使っているモノでも、故障することにすごくストレスを感じるようになってきたことに自分自身で少し驚いていて、何かが壊れるたびに「イライラーー(怒)」と来るので、あれ? 自分ってこんなに「いらち」だったっけ?と思ったから。

先日も休みに沖縄に行こうと思ったら海で使おうと思っていた腕時計の調子が悪く、メーカーの対応もいまいちで修理がお休みに間に合うかわからないっぽくて、かなりイラっとした。

死んだ親父は死ぬ前の数年こそ温厚だったが、現役バリバリの頃はものすごい「いらち」で、まぁ本当にめんどくさかった。
とにかく、何かうまく事が運ばないとすぐイライラし、あっと言う間に噴火し始めるのだ。
渋滞とか、モノの故障とか、モタモタした顧客対応する店員、なんかの状況になると子供の頃の僕はいつ親父が怒り出すかともうハラハラし、僕が謝って済むものなら謝りたいと思ったものだった。
(当然そういう道理が通らない謝罪なんぞで機嫌がよくなるほど親父は甘くなく、余計に火に油を注ぐ結果になるので黙ってこちらに火の粉が飛ばないように隠れるしかないのだ。)

そんな親父が死ぬまで愛用したのは、トヨタの車、オメガの時計、そして100円ライターだった。

モノ選びに関しては面白みがまったくない人だった。

紺の二つボタンスーツに、黒のストレートチップ、オメガの時計を腕にし、マイルドセブンに100円ライターで火をつけてトヨタの白のセダンで毎日同じ時間キッカリに仕事に行く親父を見て育った僕は、そんな彼のモノ選びのつまらなさになんだか人生までつまらなくなってしまうような気がして、アンチテーゼからかいろんな趣味的なモノ選びをするようになった。

欧州車を5台乗りつぶし、舶来モノを「修理しながら長く使うのが本当の意味で賢いモノ選びなんだよ」なんてうそぶきながら、なけなしのカネをはたいては身の丈にあわないモノを買うのだが、やたらと壊れたり意外にすぐにダメになったりすることに見て見ぬふりをしてきたのだ。。

しかし、最近、、、イラっと来るのだ。

DNAとは恐ろしいものだ。

僕にもやはり父の血が流れているのだ、あの「いらち」の血が。

いや、イラっとするには理由がある。

時間がもったいなくなってきたのだ。

一人で、休みにもなんのあてもなく、何をしようか悩むような生活のときは、むしろ常に身の回りの「何か」が故障していて、常に何かを「修理」しなければならないくらいで丁度よかった。退屈しのぎには。

でも、今は、家族と過ごしたり、子供と遊んだりする時間が貴重に思う。

わずかな休みに家族と出かけようとしたら、愛車のエンジンがかからない。。暑い日にエアコンが効かない。。慌てて目的地に間に合うか腕時計を見たら止まってる。 よし、、、まずは一服して気分を落ち着けよう。。くわえたタバコに火をつけようとするがジッポーの石がダメなのか火がなかなかつかない。。

こんなの許せるはずがない。。「イライライラー(怒)」

かつて、初任給で親孝行しようと僕は気の利いたライターを奮発して送ったのだが、結局、火のつきが100円ライターより悪いという理由で親父には使ってもらえなかった。
母が言うには、2日程利用したのだが、帰ってきたら「あいつ(僕)のライターは、火いは付かんわ、重たいわでホンマ見かけ倒しや。あいつらしいわ。どっかしもといて(仕舞っておいて)くれ。」と、100円ライターに戻してしまったらしい。

車を買い換える時に一度は外車に乗ろうよと何度もそそのかしたが「故障がヤダ」と言って、死ぬまでトヨタに乗っていた。

僕が物心付いたときから忙しく働いていた親父は、定年とほぼ同時に死んだ。

「イラチ」でつまらない親父だと思っていたが、今思い返すとなんだかんだで子供の頃はよく遊んでくれた方なのだと思う。

彼は、わずかな自由になる時間を全部家族に使ってただけなのかも知れないなと、自分に子供が出来てなんとなく違った見方ができるようになってきた。
(たぶん違うけど。w)

「箱モノ」ではなくて「家族」や「一緒にすごす時間」に価値があるということなのかもしれない。 

そんな「いらち」なら悪くない。

もちろん、趣味性の高いものもいい。でも余裕がわずかなうちはできるだけ無駄な時間がかからない堅牢で機能的なモノ選びもそこには「愛」があるような気がしてきた。

そんな話。

別件だが、そういう意味では、英自動車番組トップギアで司会のジェレミークラークソンが「没個性で面白みがゼロ」だとこき下ろしていた、日産のファミリーカーのセレナに「モノより思い出」とキャッチコピーをつけた元博報堂の小西利行さんは天才的だなと思う。
もはや、車を殺して、車を売るコピーなんだから。

没個性が愛なんだよ。すげーよw

(最近出た小西利行さんの本
伝わっているか?
には、このあまりに面白みがない商品であることを逆に強みに変えて再定義して発信するというやり方について、第二章第四話「何もない過疎の村に、突如観光客が押し寄せた理由とは?」の中で、「ないことは、たまに、あることより、強い」と書かれている。この本は分かりやすくとても面白いかった。おすすめです。)

まぁ、いろいろと考えているとまた親父の思い出話になってしまった。

スターウォーズじゃないけど、ずっと親父と戦ってきたのだから仕方ないね。

さて、没個性なモノに愛があるように、詰まらないと思う仕事にも愛あるストーリーを見いだせるかは僕らのクリエイティビティ次第。
今日も持ち場でがんばるとしましょう。