リーダーシップのアウトプットの質はフォロワーシップによって決まる

今は引退されていますが、ソフトオンデマンドという非常に立派なコンテンツ企業を率いていらっしゃった高橋がなりさんという経営者がいまして、僕は経営者の彼も彼が作る作品も小一時間語ることができるのですが、まぁ後者は論客が山ほど居るので、僕は前者について少し。

彼が、起業前はテレビ制作会社であのテリー伊藤さんの下で働いており子弟関係であることは有名です。

がなりさんは、テリーさんを大変に尊敬していて、自分自身の仕事に対する姿勢などに大きく影響を与えたという話をしていたのですが、どこで読んだか忘れましたが、当時のエピソードで最高に好きなのが、

「上司であったテリー伊藤は、とんでもない要求や、嫌がらせのような指示、命令を乱発していた(赤羽の自販機で買ったコーラが飲みたいから買ってこいみたいなのは序の口)が、自分(高橋がなり)は、『テリーの自分に対する愛が故。深い意味があってこんなことを僕にやらせているのだ。』と信じて、必死に実行しようと努力したり、この指示の真意を自分なりに必死に考えて努力してきた。そのおかげで自分は鍛えられ、今の自分が居る。しかし、後からやっとわかったがテリーはすべて面白半分でやっていただけで特に『愛』もなければ『意味』も無かった。つまり自分の勘違いで『愛』を勝手に感じていただけだったのです。」

という話。(記憶をたどって書いてるので細部はちょっと違うかもしれません)

いい感じに無茶苦茶な話で、本当に素晴らしく示唆に富んでいる。

僕が先日書いたエントリ「指示を出せば出すほど無能になる人について」は、経営者のワガママとか、上司が無能とかいろいろとご意見をいただいているが、僕はリーダーシップの結果であるアウトプットの質を決めるのはフォロワーシップの質によるところが非常に大きいと思っている。

つまり、指示を受ける人が指示から何かを得ようと本当に考え抜いていれば、指示がめちゃくちゃでも結果が出てしまう。

社長がパッパラパーに見えたり、デタラメなことを言ったりしているのにうまく行ってる企業とかを研究してもやっぱり社長の発言の単語の意味だけ考えていたら「デタラメ」は「デタラメ」だ。
要はフォロワー(部下)がアウトプットを規定してるのだ。

ただし、これは上司がバカでも良いとは言ってない。このデタラメが言えるということは特に新規事業などでは非常に重要で、デタラメすぎると未だかつて誰も踏み込まなかったヤバいところまで立ち入ってしまっており、指示を受けるフォロワーが優秀であれば新しいマーケットを発見したり、競合よりいち早くフロンティアを見つけることが出来る。
つまり、優秀なイノベーターとはどれだけデタラメなのか?ということにしか存在価値がないのだ。
フォロワーなり部下はその点についてのみ上司を厳しく見ればよいわけで、自分と同じレベルのジャッジの正当性競争をしても何もプラスになることはない。

どうだろう、貴方が今日も隙あらば殺してやろうと思ってみている上司や社長は、もしかしたらあなたの能力を最高レベルに高めてくれ、新たなマーケットを生み出す天才に見えてこないだろうか?w

ちなみに、、
このフォローワーシップというのが最高に高まった状態の時、人は上司の指示の正誤や、方向性のトンチンカンさに関わらず、上司や組織に必要かつ上司が喜ぶアウトプットが出せる。
この力というのを僕は人間の第六感を越えた、第七感「セブンセンシズ」と呼んでいる。

なんか、あんまり真剣にこの話は書くと、「盲目的に上を信じろ」と言ってるとか「宗教だ!」みたいな風に受け取ってまたいろんな人が怒ってくるので、最後にジャンプレベルまで話のレベルを下げてこの話は終わり。

では、皆さん今日も持ち場でがんばりましょう。