これといった被災地支援を出来なかったのに堂々としている人の話

ごきげんよう

東日本大震災から5年が経ちました。
5年前の今日あの時間僕は新卒採用の面接をしていました。
面接をした女子学生を連れて日枝神社に避難したことを覚えています。

この5年の中で自分が何か被災地に対して支援が出来たかというと直後のささやかな寄付や支援物資を送るなどの月並みなことと、多少のプロボノをさせてもらった程度で大きく言えるようなことは何一つできていません。
正直なところ自分たちのことで手一杯だったというのが実情です。
会社は丁度創業事業の成長が鈍化して事業転換を迫られていた厳しい時期でしたし、プライベートでは息子が生まれたばかり、初めての子育てで夫婦共に余裕もない。そんな時でした。

先月のことなのですが、部下として僕の下でがんばってくれていた女性社員が退社することになりました。
出社最終日に僕はイベントでの登壇があり送り出すことが出来なかったのですが、夜会社に戻りデスクの上にチョコレートの箱がありました。
そこに小さな手紙が挟んでありました。
彼女が置いていったものでした。
手紙の中身は書きませんが、これまでの丁寧な礼と「親代わりと言ったのだから結婚式のご祝儀を期待しているゾ」という内容でした。
彼女はうちでの仕事を続けたい意志はもってくれていたのですが、フィアンセの海外勤務を機に結婚し夫と一緒に新天地で新しい活躍の場を探してみることにする事に決めたとのことでした。
もちろん僕にとっては大きな痛手ですが、本人の腹が決まれば気持ちよく送り出すことにしたという次第です。

彼女は5年前の震災のあの時期に内定を出した社員で、しかも大きく被災した地域の出身でした。
(内定を出した時は地震前、被災したから内定を出したわけではありません。)

僕の部下であることはかなりしんどいことだと思うのですが、彼女はとても頑張り屋で挫けることなくついてきてくれました。
一度本当に仕事が大変な時に「がんばります。。。どうせ私、帰る場所(実家)ももうありませんから。」とポツリと言ったことを鮮明に覚えています。

彼女を預かり、ビジネスパーソンとして独り立ちが出来るように僕の知ってることは惜しみなく教えたつもりですし、一緒にいろいろと勉強をさせてもらいました。

別に震災があったからそうした訳でもないですし、他の社員でも同じくそうしているつもりですが、結果的に厳しい状況からのスタートとなった彼女が次のステップに進む為のプラットフォームとして自分の会社や自分が多少なりとも機能したのであれば、一人、たった一人に対するちっぽけでご都合主義的な話ですがこれも自分ができた震災復興支援と勝手に自分の中でカウントさせてもらっています。

今ふとあの時の自分はどう考えていたのだろうと、震災直後の社内SNSのログを見たらエントリが残っていました。

転記します。

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ひとりひとりができること

2011年03月14日14:30

想像を絶するとはこのことだ。
取引先や一緒に仕事をした先にも亡くなった方、行方不明の方が出ている。
亡くなった方には心からご冥福を祈り、行方不明の方はなんとか無事に救出されてほしいと心から願う。

ネットでは有象無象の情報が交錯して、また、居ても立っても居られない人の善意を利用した悪質なチェーンメールや、逆に各所に迷惑がかかってしまう義援行為の推奨が行われいる。
(例えば、消費財メーカーなどに物資を無償提供するよう要請する個人のメールで、サーバーがパンクしそう、、など)

悲しいし、自分で何かできないかと考えること自体は非常に尊いことだと思う。
こういう時に一人一人はとても非力だし、自分がいつも通りちっぽけに幸せに暮らすことがなんだか居心地悪かったり、沈んだ気持ちになるのも確かだ。
でも、私は、こういう時こそ、いつも通り経済を回したり、消費をしたり、仕事をきちんとやることが重要だと思う。
一人ひとりの予定通り買ったものや、使ったお金、がんばった仕事を通して、また企業や誰かの仕事を安定させ、その企業や働いている誰かの家族や身内や友人を通して被災地の人たちには必ず支援につながっていく。
体のどこかを大けがして、悲しい気分になって食事もせず運動もしなければけがも治らない。
その場の傷口をどうにかすることはお医者さん(プロ)の仕事でもあり、我々も何かのプロとして日本の経済や仕組を命がけでまわすべきだろう。
それが、ニッポンという体を回復させる基本だと思う。

私が言いたいのは特別なことをしなくても、日頃から与えられている個々人の役割をこんなに悲しい状況の中でもちゃんと果たすことが必要だということだ。

危険な放射能と隣り合わせで原発の対応にあたってくれる人、被災地に入って救助に当たってくれるレスキューの方、避難者を励ます医療従事者の方には本当に感謝すべきだし、それ以上に彼らのプロフェッショナルとしての姿勢について私たちはもっと良く考えるべきだと思う。

悲しい気持ち、何か手助けしたい気持ちはぐっと心に留めた上で、まずは自分の持ち場を全うし、その上で生まれた、金銭的、時間的、人力的余剰があれば、それは、実のある形の消費なり、直接的な義援金なりにするというので十分な貢献になるはずだと思う。

何をしてよいかわからなければ、まずは自分の持ち場を全うしてください。

危険な状況でがんばるプロの邪魔をするのだけはやめよう。
私たちがもし何かのプロなのであればまず目の前の仕事をがんばろう。
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持ち場で頑張りましょうとあの時も言っていたようです。
そして残念ながら5年経っても殆ど進化がありません。

さぁ今日も持ち場でがんばろうと思います。

持ち場で頑張ることを誇りにしている人の話

ごきげんよう
たにやんさん(@t_taniyan)からツイッター経由で話題を振ってもらいました。

総合商社で一般職の事務をしている女性が総合職の女性に「事務職は楽でいいわね」とイヤミを言われた。
モチベーションが下がるので、どうすれば誇りをもって働けるか?
という質問に対して、健康社会学者の河合薫先生は以下のようなアドバイスをされているようです。

1.会社や肩書を誇りとするのは「偽りの誇り」でそんなものは自分の評価でなく勘違いである。
2.上司やお客さんなど自分が提供しているクライアントに評価してもらうことは、誇りに気づく近道で、それを素直に頑張る原動力にすべきだ。
3.市場の価値と仕事としての価値は別で給料の多寡で誇りを構成しても意味がない。

概ね、僕もこの先生の意見には同意なのですが、いやはや会社というのは難しいですね。
能力相応の仕事、安定した雇用、一定の給料を提供した上にどうやら「誇り」というやつを提供しないといけないようですね。

この「誇り」というものは何か?ということなのですが、「プライド」とか「矜持」とは少し違うニュアンスのような気がします。
記事内でも他者との関係性の中に見出しているようです。「バカにしてくる総合職の女性」とか「認めてくれる上司」とか、先生自身のCA時代の自分の仕事に誇りを持てた体験談も同僚がかけてくれたふとした一言であったようです。

他者との関係性の中で「誇り」に気づいたり、「誇り」を必要にすることは組織が結果を出す仕事をする上で非常に大切なことです。
「誇り」は「モラール(士気)」に密接に関連しており、組織化して戦略的に運用することで大きな効果を期待できます。
また、組織にとってのメリットだけではなく、結果の出やすい働き方にもつながり働く人のキャリアにとってもプラスになることが多いと思います。

とはいえ、、前出の事務の女性に「誇り」を与えてあげることはできるでしょうか?というと、見る限りなかなか難しいのではないかな?とも思います。
なぜなら、彼女は今の仕事にそこそこ満足をしているからです。その上で「誇り」をよこせというのはなかなかの要求だと思います。

先生は、イヤミを言う総合職の女性が会社や肩書を誇りにするのは「偽りの誇り」であると断罪されていますが、そういう意味では、事務職の女性も日々の業務を卒なくこなすことの評価を過剰に要求し「誇り」を提供しろと言っているのもまた「偽りの誇り」ではないでしょうか?
現場での業務改革などを行うと新しい業務プロセスの導入やシステムによる効率化に抵抗勢力となるのはこの手の過剰に甘やかされた環境にいた現場社員です。
僕は与えられた持ち場で頑張ることに誇りを持つというのはあくまで組織全体のアウトプットを最大化する為の機能として自分を位置付け、他人のアウトプットも含め最大化できるように常にチャレンジと改善を行うことだと思います。
場合によっては自分の仕事を自分で葬るような改革も進んでやるべきですし、それが組織にとって必要なことなら厭わないという現場人としての迫力こそが誇りとなるべきだと思います。
そういう人は確実にどこでも通用しますし、高く評価されます。

「持ち場で頑張ることが大半の人にとってのベストプラクティスである。」と僕が思う理由でもあります。

しかし、我慢できない人が多いのも確かです。そしてそういう人に限って不満をぶちまけたり他人の努力を声高に否定して仲間を増やそうとします。
渋滞に嫌気がさして車線変更を頻繁にしてるうちに気が付いたらさっきまで後ろに居た車に追い抜かれてるような人生の人も少なくないので、そういう気持ちになることもまぁわからなくはありません。

企業における最強の現場人材とは戦略に則って計画の困難さに関係なく徹底的に実行をし利益を最大化してくれ、場合によっては自分で自分のクビを落とすくらいわけない人です。

「持ち場で頑張る」ということは基本的に多くの企業の全体戦略の一環であり、単に何も考えずいつものやり方を踏襲することとは全く別のことだと僕は考えているつもりです。

この記事の河合先生のCA時代の体験談と同様、僕にもそう思うようになったエピソードがあります。

僕が会社員として就職した90年代後半は就職氷河期でバブル後景気が上向く様子もない頃です。僕もなんとか仕事にはありつけたものの先行き不安な中の社会への船出でした。
そのころ僕がもぐりこんだ働き先はグループ全体では800億円という創立以来の巨額の赤字に苦しんでいて、経済紙などでもかなりネガティブなことを書かれていました。
建設関連だったこともあり、長引く不況と公共工事の激減によりこの状況は構造的なものであると記者は書きたてていました。
駆け出しのペイペイだった僕はそれを見て、自分は完全に負け組の選択をしてしまったんだなぁと思い、勤めて1年もしたら転職することばかり考えていました。

当時僕はエンジニアとしてプログラムを書きながら業務チームと連携して基幹システムを改善するのが仕事でした。
まぁ毎日の仕事は至って地味で、巨大な基幹システムや会計システム、販売代理店向けのシステムの仕様書もない化石のようなプログラムをこじ開けては修正したり、パッチをあてたりするような仕事でした。
会社はグループ全体で兎に角危機的な状況らしく、本社の蛍光灯が数本に一本しか点灯せず、夏場も17時でエアコンが切られそれでなくても古いビルの中は、蒸し暑く、薄暗くなっていて社会人としてまだ駆け出しの僕は、なんだかみじめな気分になったものです。

しばらくして、僕はタスクフォースと言われる事業再編のプロジェクトのシステムサイドから支援するチームに投入されることになりました。
そのチーム で、僕らが普段話したこともないような雲の上の経営企画や役員と契約したらしいコンサルティング会社のコンサルタントと仕事をすることになりました。

僕がタスクフォースに投入されたのは決して優秀だったからではありません。単に僕が会社に一番長く居たからです。
元々文系なのにコンピュータに詳しいフリをしてエンジニアとして入社した僕は他の人の能力に付いていくにも必死な状態でしたのでマシン室によく寝泊りしてましたから、遅くまで働くコンサルタントの御用聞きとして先輩達に差し出されたわけです。

僕の主な役割は、彼らがこの会社の再生の為の戦略に必要なあるべきシステム像を描き出す為、社内の現行システムを説明したり、いろいろな部署に案内する役割でした。
考古学者にジャングルの中の遺跡を案内する原住民の少年。言ってみればそういう役割。

そこからの数年間はありとあらゆるコンサルティング会社のコンサルタントと仕事をしました。
所謂トップティアファームと言われるような戦略コンサルティング会社からビッグ5系の会計系のコンサルティング会社(当時はエンロン問題の前)、個人のコンサルタントまで本当にいろんな人が出入りしていたと思います。

そして彼らはとてもかっこよく見えました。
高そうなスーツを着て、いつも賢そうな横文字を使って話をする。年齢はさほど変わらないのになんだか自信にあふれているように見え、沈みゆく船から逃げ出すこともできず言われるがままに仕事をしている僕と違って、次々と新しい仕事場で活躍しているように見えました。

ある時、僕の2、3歳上のコンサルタントを連れて、北関東の工場に行くことがありました。
向かう電車の中で、雑談をしました。
彼は代々木上原のマンションに住んでいるらしく家賃が高いけど仕事で遅いから仕方ないとボヤいていたのですが、僕の手取り給料と同じくらいの家賃の部屋に住んでいることの方にビックリしてしまいました。
僕は食堂の230円のランチに並び、ゴキブリの出る独身寮に寝る為だけに帰る生活をしていたのに。
能力が低いのは分かっていたけれど、ここまで差が出てしまうのかと。。
自分も自分の会社も負けている。ここから逃げ出さないといけない。でも逃げ出す力もない。

同僚たちも自信を失ってるように見えました。腕が立つ人や、高学歴の人の中には転職するものも多くいましたから。

僕はそれすらできませんでした。元々今の仕事に就けたことすらラッキーなくらいでしたから、今逃げ出して再就職に失敗でもしようものなら故郷の大阪に帰らないといけなくなるかもしれないと思うと、父親の怒る顔が脳裏に浮かび足がすくんで何もできないまま時が過ぎてしまいました。

プロジェクトも中盤になり、たまたまチームの飲み会で先の代々木上原に住む若いコンサルタントの上司の方と話す機会がありました。

僕は、同僚に聞こえるくらいに自分の会社やシステムの悪口をここ最近聞きかじったり、張り切って買った経済雑誌仕入れた付け焼刃の知識で言いまくりました。
「戦略がない。」「事業の選択というやつが。。」「優秀な人が流出している。。」「欧米のトレンドでは。。」etc...
普段一緒に仕事をしている同僚や若いコンサルタントは、皆相槌をうっていたのだけれど、その上司の方は一通り酔っぱらった僕の話をうんうんと聞きながら、ポツリと言いました。

「私はあなたたちを心底尊敬しているんですよ。」
「会社は一人ひとりの社員が苦しい目標にあえて挑むことで力を合せることでものすごい成果を上げます。あなたの先輩方、上司の方々は偉大なことを成してきた。今はちょっと風邪をひいてるようなものです。」
「必ず良くなります。お互いの持ち場で頑張りましょう。」

ちょっと待ってくださいね。
彼は高そうなスーツの懐から手帳を取り出して、さらさらと何かを書いて僕にくれました。

「機会があればこの論文を探して読んでください。あなたがさっき言っていた戦略とやらの元になったCKプラハラードの論文です。そもそも彼の理論の多くはあなた方の会社を研究して書いたのですよ。」

手帳を破った切れ端には「CKプラハラード ストラテジックインテント」と書いてありました。

その後、ストラテジックインテントを基にして書かれたというCKプラハラードとゲーリーハメルのコア・コンピタンス経営を読んでみて見て驚きました。

確かに僕がボロクソに言った自分たちの会社のことが書いてありました。欧米企業の「研究対象」として。。
できる範囲のことをうまくやるような小利口なだけの戦略ではなく、経営から現場のコピー取りまで一貫して取りつかれたように野心的な目標に取り組む「ストラテジックインテント」がこの資源もないちっぽけな極東の島国の会社が成長し生き残ってきた要因であるという分析でした。

僕はとても恥ずかしい気分になりました。
この本を教えてくれたあのシニアのコンサルタントから見て、僕みたいな大した実力もないのに文句ばかり、大局もそれに連なる自分の持ち場も直視しようとしない踏ん張りの効かない人間こそがこの会社の苦境からの再生の邪魔になってるのではないか?
もちろん何に注力すべきか?を選択するのは戦略かもしれない。
でも少なくとも彼は戦略のまずさを横において現場のせいにして弾劾したり、嘲笑したりはしませんでした。
彼は戦略を司る立場のプロとして「あなたたちを尊敬している。」と「持ち場で頑張るから、お互い持ち場で頑張りましょう。」と言ってくれました。
彼はプロでした。



戦略的な意図を理解した上で、一人ひとりが持ち場で頑張ること。

立派な会社を転々することでもなければ、カッコいいスーツを着ることでも、ものすごい肩書でこけおどしをすることでもない。

自分の仕事に誇りを持てないのは勉強が足りないからだ。
自分の仕事が空しくなるのは社会にとって、会社にとって、自分にとっての意義を頭がちぎれるまで考え抜いていないからだ。

戦略的であることと持ち場で頑張ることは対立概念ではない。

考え抜いた上で自分の強みを磨き自分の持ち場を全うしているか?

人の持ち場を羨んで立ちすくむ暇があったら、自分の持ち場が全体像のどのピースなのか理解する努力をしよう。
そして勉強している間も持ち場の手は止めず踏ん張ろう。

同期の集まり、メディアの煽り、成功者のマウンティング。
耳をふさいでいても向こうから入ってくるような意見にいちいち不安になることはない。

器用じゃないならなおさらだ。

そう思うようになりました。



その後苦しく長いプロジェクトとリストラを含む痛みを伴う企業改革は進み、グループはV字回復を成し遂げることになりました。

僕はというとシステム開発はノンコアビジネスであるということでグループ再編の波にのまれグループを籍としては去ることになりました。
とはいえ、「中の人」から「外の人」となっても一貫して同じ仕事場で7年程いろいろなプロジェクトをやりました。
自分で自分の墓を掘っていたとは思いませんでした。かつて僕にプロとしての誇りを教えてくれたあのシニアコンサルタントと同じくプロで居たいとと思っていたつもりです。
そして7年目の春、いろいろなプロジェクトが一段落した所で、ひょんなことから起業に参加することにしました。

もう僕の誇りは看板ではないと思えるようになっていました。

僕は華やかな仕事はしたことはないけれど、どんなエリートに会っても堂々と言えます。
「僕は一人でやるより二人、二人でやるなら三人でやる方が好きですし。右向けと言われれば右を向き、左に飛び込めと言われれば左に飛び込んできました。その方が結果につながるからです。」
「そこが僕の持ち場ですから。」

自分にとって割がいいか悪いかは関係ありません。
それが僕の誇りだし、何を言われてもびくともしません。


今日も持ち場で頑張ろうと思います。それ自体が僕の誇りだし、唯一の価値ですから。
誇りが持てる仕事だから頑張るわけじゃない。
そこを持ち場として頑張るから誇りが生まれるのだと思っています。

ゴキブリ父さんの人生戦略

ごきげんよう。相当久しぶりのエントリです。

先日、経済評論家の山崎元さんが、Newspicks上で書かれている人生&マネー相談のコーナーにおいて「金持ち父さん」にあこがれる学生さんの今後の人生戦略についての相談とその回答がNewspicksを飛び出して他のSNSやメディアでもちょっとした話題になったようで僕の元にも流れてきました。

https://newspicks.com/news/1364385/body/?ref=user_9115

詳しくは、元の記事を読んでいただくとして、以下のような学生の相談、

1.年収1000万の会社員を真面目に目指すより自分の時間を持てて収入も多いと聞く資産家になりたい。
2.そのために起業したり自分のビジネスを持ちたいのでMBA取得も考えている。
3.今の自分の考えを含め、今後のキャリアプランはどう立てるべきか?

に対して、山崎さんは以下のようなアドバイスをされていました。

1.お金持ちになる為の起業のステップとしてMBAや準備としてのキャリアなどというひ弱でまどろっこしいことを言ってる時点で起業や金持ちになるセンスがないから真面目に働いて「優秀な貧乏父さん」を目指すべき。
2.多くの大成功した企業や起業家を見る限り、お金は目標ではなくビジョンに対しての「必要条件」であり、自分は世界に対して何がしたいのか?を考えた方がよい。
3.それでも金が欲しい、金持ち父さんになりたいのならブラック企業でブラックな商売のコツでも盗んで自分もブラック企業を作るのがいいだろう。

まだ何者にもなっていないのに漠然とお金持ちにあこがれる若者に対して、山崎さんらしいちょっとシニカルで知的な素晴らしいアドバイスだと思いました。

Newspicksのコメントでも独り歩きする「お金持ち」への憧れで勤労者を安易に下に見るような若者をうまく諭した山崎さんのアドバイスへ同意する好意的なコメントが溢れていました。

僕にもし山崎さんのような父親でもいて、このようなアドバイスをもらえれば今のような人生を歩んでいなかったかもしれないなぁ。。。と思いかけたのですが、いや、むしろ僕が大学三年生の時なら山崎さんのアドバイスは知的すぎて僕の心には届かなかったと思いました。

で、、、10分だけ20年前にタイムスリップすることができるとして、この記事を大学三年生だった当時の僕に読ませた上で、僕自身が補足できるならどうするかなと。。。

――――――――タイムスリーーーーップ!

ユウタロス「どうだね?進路は決まったかい?」

大学三年生の僕「誰?おっさん?」

ユウタロス「相変わらず口悪いな。治せよそれ。僕?僕の名前はユウタロス。山崎先生の記事は勉強になったかね?」

大学三年生の僕「うんうんよくわかった。俺は当面貧乏父さんで諦めるけど、そもそも真面目に会社員やって1,000万円が見えそうな就職先自体がうちの大学の就職実績でないんやけど。。どうなん?」

ユ「そやな。それどころか『出世を諦める』とか『諦めない』以前にどっかの会社に入っても君では基本出世はない。っていうか山崎さんも言ってるけど、30〜40代で1000万円を出世してもないのにもらえるような立派な会社には基本入れない。」

僕「ファ?じゃぁ詰んでるってこと俺?」

ユ「そやね。詰んでるね。」

ユ「そもそも君は世界に対して何がしたいんだね?」

僕「ファ??世界?そんなの特にないし。考えたことないよ。ないない。三流大を出るのが精いっぱいの俺が世界?ないわ〜。でもとりあえずお金は欲しいよね。社会人になってやりたいことはお金貯めてベンツのオープンカーを買って、ドヤ顔で女の子とドライブしたい。あと金融と食品、流通業界はいややな。金融はオヤジみたいな仕事はイヤやから。食品とか流通はキツそうやしモテなさそうやからやだ。」

ユ「そうか、、、典型的なFランバカだな。。まぁそんなもんだろう。仕方ない。」

僕「どうしたらよい?」

ユ「君の周りでベンツ乗ってる家はどんな家だね?」

僕「土建屋の社長のAくんの家、コンクリート卸しやってるBくんの家、開業医してるCさんの家、カスタムカーの部品作ってヤンキー相手に売ってるD社長、、、」

ユ「まぁそんなもんだろ。。今から医者は無理だろうから土建屋が良いんじゃない?」

僕「それはイヤ。16歳から鉄工所で働いて懲りたわ。あれはしんどい。社長やったらええけど。」

ユ「いきなり社長からってのは無理だろうなぁ。」

僕「じゃぁ、、やっぱ、『優秀な貧乏父さん』を目指すしかないのか。。」

ユ「ちょっと待った。。それ目指したら死ねるよ。意識だけ高い自己啓発マシーンになって金を吸い取られるだけ。『優秀な貧乏父さん』ってのは一流の大学を出てスタートラインが一流の人だけの選択肢だから。」

僕「は?じゃぁ僕が目指すのは?」

ユ「君はだね。『憂鬱だけど生き残る父さん』通称『ゴキブリ父さん』を目指すべきだね。」

ユ「君は一定のスキルや能力が備わっておりせめて学業くらいは結果を出している人、、、ですらないのだから、『何がしたいのか?』ということを出発点にするのを捨てて、まず何が出来るのか?を棚卸しなさい。君は何ができるのかな?」

僕「特にないよ。あぁ、、しいて言えばパソコンが少し触れるよ。それくらいかな。でも中途半端だよ。」

ユ「大丈夫。そしたらそれを生かすしかないね。」

僕「じゃぁコンピューター関係に、、、」

ユ「ちょっと待った。君は本当にバカだな。自分で中途半端だと分かっているのでなぜ、自分より優秀な人がいっぱい居る所に行くのだね。」

僕「だってその方が勉強が、、、」

ユ「会社の優秀な人は先生ではないぞ。単に差がつくだけだ。むしろ教育機会やチャンスはそういう人達に集中するからますます君は落ちこぼれ。死亡確定だ。勉強は自分でしろ。とにかく、IT化が遅れている業界の会社を狙いなさい。」

僕「分かった。。でも、やっぱベンツ欲しいなぁ。。」

ユ「心配するな。ベンツは買える。むしろベンツを買いなさい。君が上手く潜り込んだ先の会社で、1年勤めればローンが組める。それで買えば良い。君みたいなバカは一回やってみないと分からないだろうから、そういう変な憧れは早いうちに芽を摘んどいた方がいいからね。ベンツも走って曲がって停まるだけのタダのクルマで、大してそれでモテることもない。そんなちょっと頭のいい人達ならだれでも知ってることに変な幻想を抱いて30歳にも40歳にもなって中途半端なちっこい欧州車をコツコツ貯めた金で買ってでっかい劣等感とちっぽけな優越感を糧に働くようになるくらいなら、社会人になったらすぐにベンツをローンで買いなさい。」

僕「マジで?買っていいの?種銭を貯めろって怒られるかと思った。」

ち「種銭だ?そんなものはサラリーマンで多少給料が上がったところで一生貯まらないから心配しなくてよいよ。君の唯一のアドバンテージはそのバカさ、素直さだ。君にとっての種銭にあたるのはリスクを取って他の人がやらないようなことをいち早く飛び込んだ経験。それしかこの先もないのだから、どんどんキレイなファイナンス(借金)をして経験を先取りするんだ。どうせ出世を諦めてちまちま小銭を貯めてる人生が『ご機嫌父さん』になりうるのはエリート社畜のみだからね。ファイナンスすれば自然と返済の為に持ち場で頑張らないといけなくなるし、比較的資産価値があるものを買えば貯金の代わりにもなる。そして経験は持ち場での評価や人脈に変化し君の売り物になる。つまり君が生き残るには借金の返済に憂鬱になりながら、それで手に入れた経験を血肉に換えてゴキブリのように生残る。それしかない。」

僕「ゴキブリ父さんって借金でクビが回ってないだけじゃ、、、」

ユ「君は何を聞いていたのだね?いい加減説明するのに飽きてきたよ。『きれいな借金』って言ったろう。キレイな借金ってのはまともな金融機関のまともな金利の借金、いわゆるプライムローンのことだよ。心配しなくても君の実力と返済できるかは金融機関が判断してくれる。つまり君が考えるのはちゃんとした金融機関からお金を借りれるような人生を歩むことだけでよくて、返済できるかなんか心配しなくてよいんだよ。普通に働いて返済できない金は心配しなくてもまともな金融機関は貸してくれないから。」

僕「ユウタロスのおっさん。言ってることが自己啓発より更にひどくなってないか?」

ユ「おっ。。まだ言いたいことはいろいろあるがそろそろ時間だな。。」

ユ「まぁ、君は頭が悪いから今みたいな状態になってるんだ。無理に全部を自分のアタマで考えようとせず誰の話を聞くべきかの選択に思考のすべてを投入するんだ。」

ユ「あと、君が死ねばいいのにと思うくらいキライなオヤジさんな。あの人あと何年かで勝手に死ぬから。あの人は口が悪いだけで君のことを心配していろいろ教えてくれてるだけだし、言ってることは意外にまともだ。早めに仲直りしなさい。」

ユ「あぁ、、もう時間だ。。もちばでーーーがん〜〜〜〜ばれよ〜〜〜〜〜」

僕「き、、、消えた。。。」

、、、、
、、、


さて、おかげ様で僕の「憂鬱なゴキブリ父さん」としての人生もさほど悪くないと最近は思うようになってきました。
経済的な自由を得るほどの資産も、気楽さももご機嫌さもないですが、おかげ様でどんな環境でも生きていける自信というささやかな資産は貯まった気がします。

さて、ローンの返済もあることですし、今日も持ち場でがんばりますよ。

では。

金貸し父さんと信頼の米びつ

僕は大阪に本社を置く機械商社の新社長に挨拶をする為に先方の応接室を訪れていた。
部屋の中には僕を含め3人の男がソファに身を沈めている。

今回社長から一気に相談役に退いた老創業者は絵に描いたようなナニワの喰えない商売人という感じではあったが、その中にも人情味を感じるとても味のある人物だ。
一代で50億円規模の商社に自社を育て上げ、兼ねてから65歳で引退すると宣言していたのでこの度の社長交代となった。
30代前半の長男はまだ若い為、常務管理本部長へ昇格はするもののまだ修業は数年続くとのこと。
僕も旧知の創業以来から創業者に仕えてきた番頭格である専務が社長を引き継ぐことになったそうだ。
2代目が育つまでのいわゆる「つなぎ登板」である。
流石に手堅い人事で前々から引退を意識して準備していたことを伺わせる。

新社長とは翌日個人的にゴルフをする予定だ。

「まぁ、よろしく頼んますよ。ひきつづき社長を助けてやってや。」

この記事の公開ははてなダイアリーサービス停止に伴い終了しました。
続きはバックナンバー集にて


金貸し父さんと信頼の米びつ【バックナンバー集04】|ユウタロス|note(ノート) https://note.mu/grand_bishop/n/n9d7c0f1dfd29

破滅こそがオーナー経営の処方箋なのか

(また、適当なことを書きおって。。人の気も知らんで。。)

男はそう思いながらノートパソコンのブラウザを忌々しそうに閉じた。
ネットニュースの記事には自分があたかも冷酷非道のヤクザ者かのように書かれており、その下のコメント欄には自分を中傷する「ブラック経営者は今すぐ死ね」「二度とこの会社は使わない」など自分では考えもつかないようなありとあらゆる罵詈雑言が並んでいた。
(自分はいい。それより、、、)
思案を巡らせようとしたが、総務の女性の声に思考をさえぎられた。

「川口副社長。会長がお呼びです。」

「・・・早い。。な。。」

男は椅子の上にスーツを着たまま胡坐を書くのが癖なのだが、彼を呼ぶ電話を知らせるその声を聴き終わる前には靴に足を突っ込んでいた。
靴の踵は柔らかくつぶれてしまっていて紐は緩く結んだままだ。
自分が現場で引越し作業員だったときから靴を脱ぐにも履くにも手を使わずやってきたクセで靴がすぐにこうなってしまう。

すぐにエレベータに飛び乗り、10階の会長室へと向かう。
ノックは一回、すぐに部屋に飛び込んだ。
それがオヤジと一緒に仕事をしてきたこの30年のルールだ。
常にオヤジが「オイ」といったらすぐに動く。神戸の街で荒んだ生活をしていた19歳の自分を拾ってくれたあの日からそうやってずっとオヤジをささえてきた。

ワンフロアをまるまる使った会長室は広さ以外は質素だったが、横幅の大きなデスクと釣り合うくらい大きな液晶ディスプレイが置かれ、それに隠れるように座っている小柄な老人がとてもアンバランスだ。

川口がオヤジと呼ぶ老人はマウスを動かしながら大きなディスプレイに対して目を細め、何かを熱心に読んでいるようだ。
部屋に飛び込んだ川口は何を読んでいるのか既に察していたが、知らないフリをして大きな声で言った。
「会長!如何されましたか?」
オヤジも歳をとった。大きな声で話しかけないと聞きとりづらいのだ。だから、どこでもこちらが大声で話をするクセがついてしまった。

「これはいかんね。なんでうちがこんな悪者にされとるんや?」

老人は静かに言ったが、耳が赤い。間違いなく怒っている。
なんどもこの後の怒号を聞いて来た川口には一目でわかる。

「何か書かれているのですか?」

何の話をしているのかは、川口には解っていたが知らないフリをして聞き返す。
ここで事前に知っていたと言ったら「なぜ知ってて何にもせんのや!」とこちらの不手際にされてしまい、次の打ち手がなくなってしまう。
対策の動きよりも先に声をかけられた以上、ここで初めて知ったことにした方が吉だ。

「これやこの記事。お前もえらい書かれようや。」

川口は大袈裟に驚いて、芝居がかった怒りをしてみせる。

「なんやこれ!? 俺こんなんヤクザもんやないけ。。。。」

怒りに震えるフリはするものの、内心では必死に次にどう言うべきか考えている。

「会長、いや、オヤジ。僕すぐこの出版社に怒鳴り込みに行ってきますわ。僕のことはええ。うちの、、いやオヤジの会社のことをこんな風に書かれるのは我慢ならん。」

老人は打ち震える川口の姿を見て、少し落ち着きを取り戻したようだ。
川口はこうして会社を守って来たつもりだった。

オヤジの仕事にかける情熱、ひたむきな姿勢、そして仲間思いの親分肌の部分を川口は好きだ。
いや、正確には「好きだった」。
大学とは名ばかりの3流大学を中退し、何もせずにふらふらしていた自分を拾ってくれた恩は忘れてはいない。

そして、そんなオヤジが気持ちよく居られるように仲間や取引先の間に入ってオヤジの感情が爆発する前に先回りして自分が矢面に立つことで会社を守って来た。
荒くれ者たちをまとめ、零細運送業者だったこの会社を引っ越し業界でも屈指の規模に成長をさせてきた。
「オヤジを気持ちようしてやって会長室から出さなければ、この会社は大きくなれる。それが俺の役目や」
そのつもりだった。

しかし、最近自分のやっていることは本当に会社の為なんだろうかという疑念にかられることがある。
ぐるぐると考えが逡巡することが本当につらい。よく眠ることができていない。

あの頃、オヤジと仲間達で荷物を運んでただただお客さんに喜んでもらうことが嬉しかった頃。事務所に帰って来ておかみさんが握ってくれた握り飯を食うのが楽しみだったあのころがなんと幸せだったことか。
肩書も給料もあのころよりは立派にはなった。オヤジを金持ちにすることもできた。
だが、自分はあの頃の方が幸せだったと思う。戻れはしないのだが。。そう思うのだ。

「失礼します。」

会長室のドアを閉めた後の足取りは入る時と変わらずキビキビしていたものの、それは気持ちを反映したものではなく、長年の訓練によるものなのは確かだった。

「それでも、、他に道はないんや。。」

ひとりエレベータの中でつぶやく。
車で会社と家を往復し、TVもスポーツニュースしか見ない会長に昔なら雑誌や新聞は見せなければ都合の悪い話は目に触れないようにすることはできた。
しかし、この10年程はオヤジは10時に会長室に入ってから16時までずっとインターネットを見るようになってしまった。
特に自分の会社の名前で検索して出てきた結果を毎日一件一件チェックするのが楽しみになってしまったのだ。
それから川口の仕事は何倍にも増えることになったのだ。
毎日昼前には会長室から呼び出しの電話がかかってくる。
(インターネットなんか無くなっちまえばいいのに。)
昔は同業者でも部下でも上司でも気に入らない奴は直接文句を言いに行って凄めば話がついた。
しかし、川口は自分を苦しめ続ける得体のしれない「インターネット」を心底恨んだ。

エレベータの階数表示は1階を指していた。自分のデスクへは戻らず、タバコを一服することにした。
どうせ真っ直ぐ戻ってもろくな話が待ってるわけでもないのだ。
金色の歯車のマークの社章が外の光りに反射している。
会長が「会社は規律正しく社会に貢献する無くてはならない歯車である」という思いを込めて作ったマークだ。
自分の人生はこのマークと共にあり、疲れ、朽ちて行くのだろうか。

続、、、きません。。

(このお話しはフィクションです。実在の企業や人物とは一切関係ありません。)


さて、話は変わりますが昨日NHKの「新映像の世紀 第2回グレートファミリー 新たな支配者」を見ました。

1920年代の未曾有の好景気に沸いたアメリカをテーマに、資本主義の仕組みと技術革新を背景に新たな支配者として現れた巨大財閥「グレートファミリー」についてで、とても興味深く見入ってしまいました。

金融のモルガン家、石油のロックフェラー家、化学のデュポン家、自動車のフォード家、そして発明王エジソンを中心に描かれ、今日に続く巨大な産業を限られたファミリーの個性が支配していることを生々しく映し出していました。

しかし、今日、トヨタが目標にし、そして未だに世界一に君臨するGMという自動車会社を作った、一人の男の名前は登場もしませんでした。
男が登場しなかった理由は簡単で、彼が「破滅した」からに他なりません。

その男の名前はウィリアム・C・デュラント。

天性のマーケティングセンスと勝負師としての才覚で、一代でGMを立上げ、その後ワンマン経営による過剰投資などで失脚、別の自動車会社を起こし買収により古巣のGMを買いジョブズのように復帰しましたが、またしても経営に失敗しGMを追われ、後世においては会社に自分の名前を冠さなかったこともあり名前を知られることも少ないようです。
僕がなぜデュラントの名前を出したかというと、デュラントこそ苛烈なオーナー経営の出口を示している起業家だと思うからです。

デュラントには自動車会社を起業する際にパートナーが居ました。
日本風に言うなら番頭です。名前をチャールズ・W・ナッシュと言います。
ナッシュは元々デュラントが最初にやっていた馬車工場の監督でした。そこから当時では突拍子もなかった自動車会社を立ち上げるというデュラントの誘いに乗り、過激とも言えるデュラント率いるGMの裏方としてずっとGMとデュラントを支え続けます。
またデュラントがGMを最初に追われた後には銀行団からの依頼でGMの社長も引き継いでいます。
しかし、デュラントはこの無二のパートナーである、大番頭ナッシュに2度目のGMへの経営復活をした時に去られてしまうのです。

その後、思うがままに暴走し、番頭と相場の運にも見放されたデュラントは2度目のGM経営にも失敗し破滅します。
(一方ナッシュは、独立後ナッシュモーターズという小さいながらも高品質な車を作るメーカーを設立し現在はクライスラー傘下のAMC社になっています。)

しかし、興味深いのはここからです。
ハチャメチャになったGMは、だらだらとヘンリーフォードとフォード家が居座ったフォードに対して、事業部制をはじめとした近代的な組織手法で改革を行いどんどんと成長します。
そして現在の世界トップの自動車メーカーになっているわけです。(ちょっと前にまた破綻してましたけどねw)

苛烈な創業者経営とそれを支える実務屋のナンバー2のドラマは会社という組織にフォーカスをすれば、何時までも人情ドラマではなく、大きくするだけ大きくして破綻するのがもしかすると真の意味で会社と社会の為なのかもしれません。

僕は資本主義の歴史の中で延々と繰り返されるこの「起業家とパートナーの人間ドラマ」の引き際と幸せな出口についていつも思いをはせてしまいます。

誰の、何をゴールに設定すべきなんでしょうか。
僕には未だわかりません。
もしかして誰も幸せになっていないのでしょうか?それでも前に進む価値のあるものなのでしょうか?

僕にできることは今日もめぐりあわせを信じて持ち場で頑張るのみです。

では

参考文献:
GMとともに―世界最大企業の経営哲学と成長戦略

物語 経営と労働のアメリカ史―攻防の1世紀を読む


「ベンチャー役員三界に家なし」はネット界にもお家がなくなったので現在メンテナンス中です。

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バックアップから記事を部分的にサルベージしていますが、新しいエントリは別のブログで書こうと調整しています。
引越しした際は追ってリンクもつけたいと思います。


【削除後、リクエストやソーシャルなどで言及してもらった数が多かった過去エントリ】

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ありがたいことにツイッター等で惜しんでいただいたものはできるだけ復旧しようと思いますが、後は気がむいた時にやります。


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